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書くことが好きになったと気づいた瞬間



久々の更新。何を書くか、早速忘れる。
最近の私は、言葉と言葉を並べるだけで精一杯なのだ。


簡単に言えば、頭痛やめまいがひどくて書くのがより困難になっている。症状も前回の記事の頃より、さらに悪化してきて、全身の痛みや極度の疲労感もたっぷりちゃんと症状として皿にもられているかのよう。私の脳内は常に頭がぼーっとしており、頭痛とめまいでクラクラしながら脳から出した文字を打つ。脳内で浮かんだ言葉がたくさん出てきても、それを上手く繋げることが出来ない。


例えば、こういう事が脳内で起きている。

「これは、新しく買ったゲームだ。」

と、いう文章を書きたいと思っているとする。
しかし、いくら思っていても、脳内では箇条書きでしか言葉は出てこない。

「ゲーム」「 新しい」「 これ 買った」

単語などはボンボン出てきても、上手く脳内で文章に出来ないのだ。 そうなると、140字のツイートでも書くのが難しく、言葉を繋げるためにと脳内を動かしすぎて、頭痛を酷くさせてしまうこともよくある。


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この新たな症状が出てきたのは、前回の記事以降。9月に入ってからであろうか。言葉はたくさん出てくるが、いくらひねり出そうとしても繋げるものが出てこない。文章が見えない。お医者さんが言う曰く、「たたでさえ、神経が過敏なのだけど。その状態からさらにもっと神経が過敏になりすぎたゆえに起こる症状だから。」と言われている。けど、それが辛くて辛くて嫌になることが多くて泣きそうになったこともあった。なぜ、こんなにも症状のせいでやりたいことを邪魔させられないといけないのかと。



けど、それでも書きたい。書きたいのだ。

生きて書く。書いて生きる。
言葉を書くことにより、生きていると感じさせてくれる。いつの間にか、私は文章を書くことが好きになってしまった。症状があっても何があっても、書きたいと思うようになるくらいに書くことが好きなことへとなっていた。気がついたら、ただの手段でしかなかったことが好きになっている。

それもこれも、このnoteで書くようになってからだ。何故かここに書くとスッキリするし、なんちゃってクリエイター気分にもなれる。そうすると、生きている感覚がより増してくる。症状で痛くて重くて動けなくて辛い日も、「この気持ちをあとで何かしらで言葉にしよう、表現しよう。」と思うと、症状への辛さが少し消える気がする。


生きて書く。書いて生きる。


だから、今までよりも箇条書きの文章や、上手く繋げられない箇所や誤字脱字など、これからの記事は多いと思う。けれども、書きたい気持ちのが強い。この症状の中でも書いて強く生きたいのだ。


書いて生きるためにも、まだまだこんなところで躓きたくない。
書くことが好きだから。これを書いている時も、書くことが楽しくて幸せなのだ。

私は生きてここに書いて、ここに生きる。
症状なんかに好きなことを邪魔されたくない。

書くことを止められない。止めさせはしない。
そのためにも、私は生きて書く。好きなことを続けていく。
自分の中にある何かを好きだと気づいた瞬間、人はもっと強くなれる気がする。

自分らしく、これからも書いて生きる。




症状のことのマガジン。


前回はこちら。


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