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それって本当?「ヤバいは思考停止、エモイは感性の腐敗」という記事を読んだ。

BUSINESS INSIDER JAPANに投稿された記事で、若者言葉について「ヤバいは思考停止、エモイは感性の腐敗」と書かれた痛烈な小見出しに衝撃を受けた。

記事では、「便利な言葉に甘んじ、語彙力を自ら退化させている」ということを指摘した上で、ビジネスの潮流は感性を重視する時代になるため、「ヤバい」や「エモい」など、使う言葉の種類を減らすことは、時代の潮流に逆行した自殺行為だと警鐘を鳴らす、という内容だった。

「ヤバい」も「エモい」も使う19歳である筆者にとっては、納得できない部分と同意できる部分があり葛藤したため、noteで筆を執ることにした。

JKの会話はこうやって成り立つ。

確かに「ヤバい」や「エモい」という単語は、内包する意味も多くて、色々な場面で使われるから非常に多義的で汎用性の高い便利な言葉だ。

記事で書かれていたように「どうヤバいの?」と聞いても「とにかくヤバい」と返ってきて会話にならない、という場面は“ヤバいとされる対象を言語化して伝達できない”ことが原因だ。

だが、それを若者の言語化能力や語彙力が低いことを理由に、“共感させる力”がないと言わんばかりの姿勢が理解できない。

話し手の言っていることを理解したいのであれば、聞き手の聞く姿勢が重要になってくる。

例えば、JKが2人組みが街を歩いていて、Aさんが突然「見てあれ!ヤバくない?」と言ったとするなら、聞き手のBさんは、「ヤバい」とされる対象を見て、Aさんの感性や思考などに寄り添って「ヤバい」の対象を推測して、意味を考えなければならない。

Aさんが言った「ヤバい」の対象が、奇抜な服装の人かもしれないし、芸能人並みのイケメンかもしれないし、街中で暴行事件を目撃したからかもしれない。

このように推測して、前後の会話の文脈が、好きな芸能人やアイドルの話で、周りに奇抜な服装の人も暴力事件もなければ、話し手のAさんが言った「ヤバい」の意味は「見てあれ!すごいイケメンがいるよ!」と解釈できる。

これを無意識で行っているからJK同士の会話は成り立つのであって、むしろ話し手の意図を汲み取って会話を進めるから傾聴力や共感力は高いと言える。

しかし、言語化能力や語彙力が低い若者を“共感させる力”がないと一刀両断してしまっては、いつまで経っても若者との距離は縮まらないだろう。

聞き手の大人は、話し手の若者が未熟であることを想定し、その社会的属性を見極めて、傾聴や共感する姿勢を持って話を聞かなければ、当然、会話は成り立たないのである。

ここで言う社会的属性というのは、お嬢様学校に通うJKと、地元のギャルでは、言語化能力や語彙力、強いては“共感させる力”に差が出てくるということだ。

本を読み言葉をたくさん知って、多くの人と交流できる若者ならば、語彙力も言語化能力もあって、聞き手に合わせた伝え方ができるかもしれない。

そうではない若者が「私コミュ障なので」と言うのは、何も伝える姿勢を怠けているのではなく、「私は伝えたいことを適切に伝えることができないかもしれません。」という誤解や齟齬に対して予防線を張って、自分の至らなさを汲み取って欲しいというメッセージである場合もある。

言語化能力が高くて伝える力もある若者が「私コミュ障なので」と言うことは、あまりないだろう。

コミュ障な人は、伝える力や言語化能力が低いから「コミュ障」という言葉を使うのである。

「ヤバい」「エモい」が思考力や感性が低下させるの?

筆者は「ヤバい」や「エモい」などの便利な言葉を使ったからといって、思考や感性が低下するとは思わない。

言い方は悪いが、これらの言葉はもともと、本を読まなかったり言葉に触れない社会的属性を持つギャルやパリピと呼ばれる人々の間で発生した言葉だから、使ってるだけで、「語彙力がない、言語化能力がない」という印象があるかもしれない。

しかし、これほど多義的で汎用性の高い複雑な言葉を、多くある意味の中から状況に応じて適切に使い分けている若者は、非常に高度な感性を持っていると思う。

「ヤバい」や「エモい」だけでなく、一時期流行った「卍」や「バイブス」といった抽象的な言葉も、「気持ちの高揚や興奮」「雰囲気やノリ」といった、言語化しにくかった繊細な感情を表現した言葉である。

このような感情の機微を表現することは、まさに“言葉の発明”である。しかし、それらを発明する若者は往往にして、言語化能力や語彙力、思考力がもともと低かったりするだけで、「ヤバい」や「エモい」を多用することが、若者の思考力を下げることに繋がるとは思わない。

「ヤバい」や「エモい」などの抽象的な言葉を、発語者が意味を自分の言葉で説明できるくらい理解した上で使っているなら、言語化能力や語彙力の低下を心配する必要はない。

それら抽象的な若者言葉を、言葉にして説明できない状態で使っている若者は、もともと言語化能力や語彙力が低いのだ。そして、言葉に対する関心が低いという点が考えられる。

つまり、自分たちが発明した「ヤバい」や「エモい」といった複雑な言葉の意味と向き合わせて、自分の言葉で「ヤバい」や「エモい」を説明できるようにすれば、言語化能力や語彙力、思考力を高める手助けになる。そうすることが、若者の“共感させる力”を育むのだろう。

コミュニケーションは双方性が大切

若者と大人のコミュニケーションにおいて、若者が常に大人の理解できる表現で話せるとは限らない。

大人は話し手の若者への傾聴する姿勢を忘れてはならないし、若者は聞き手である大人への伝える姿勢を忘れてはならない。

当たり前のことだが、コミュニケーションとはお互いのことを考えながらするものである。

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