「文化祭でした。」縮小されて見えてくること。
今日、次男の中学校で、3年に一度の文化祭がありました。3年に一度とは言っても、蜜を避けるため、内容は、これまでのようにはいきません。
今日の文化祭も、参加できる人数を各家庭1名の家族に限定して、校舎内が蜜にならない対策をとって実施されました。
各家庭1名。我が家では、家族を代表して高校生の長男が行くことになりました。
次男は、私に来てもらうよりも嬉しいと言っていました。先生だって、私より長男が来た方が、きっと喜ぶとも言いました。(うぇーん💧)
文化祭では、行動が制限され、生徒と家族は別行動だったようです。
長男は午後からアルバイトもあったので、次男は、単独行動での文化祭で長男が、土曜日が無駄になったと思っていないかを心配していました。
長男は、文化祭のパンフレットを見た瞬間、そうなるだろうと想像できたから、1時間でまわって帰ってくることができたと言い、スマホで撮影した次男の作品を見せながら、文化祭のことを、しっかり話し、伝えてくれました。
また、アルバイトで一緒になる人の弟が、次男の同級生であることが発覚し、弟の文化祭に行ってきたと言ったら、すごくウケてたとも話てくれました。
まぎれもなく、「行ってよかった。」と思っている表情をしています。
通常どうりだったら見られないような、子供たちの一面や思うことなどと遭遇できるところを、この時代の特徴の1つとも感じます。
文化祭だけでなく、修学旅行も、体育祭も、学校行事は縮小が常識の時代にあります。
さみしくもあるなか、縮小されてはじめて、見えてくることがあるのも事実です。
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