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境い目が見えるから

やりたいことがあるか、とか
すきなことを仕事に、とか。
あまりに耳心地よい言葉で私たちの痛いとこついてくるんですね。
こういう言葉の波に乗って
うまいこと向こう岸に着けた人いるのかな?

私はいつももっと違うものをずっと
凝視してきてしまって。
やりたいか、やりたくないか、で考えてなかったので、
「今はこれをやるもんだ」の数珠つなぎが今の自分だし、あまり不満もなかった。


ふと横にいる息子たちに目をやると
「これがやりたい!」の欠片を
日々集めて、磨いて、時にはそれに躓いて。
いびつながらに、かたちにしていっているなぁと、驚かされることばかり。

でもきっと、私もやっていたんだよね。
好奇心旺盛だし、何でもやってみよう!的な気持ちは同じなんだけど、
たぶん「やらないこと」が少なかった。
「やりたくないこと」もやってるうちに、
「やりたくてやってること」と
「やりたくないけどやってること」の
境い目がわからなくなったんだろう。

これは結構な大発見。私にとっては。
たぶんひとりで生きてたら気づかなかった。
本とか、誰かの言葉ではとっくの昔から
云われていたはずだろうけれど。

息子たちを通して世の中を見ると
世界は自分の手の中にあるじゃないか、と思わせてくれる。

やりたいからやっている、の時間ばかりでは
いかないこともあるかもしれないけれど、
境い目を見失うとそのあと探すのが大変だから、こちらから掻き消さないように。
息子たちが境い目がわからなくなった時には
「ほら、ここにあるじゃない?」と、伝えられるといいなと思う。

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