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日本では何故「ノートパソコン」は盗まれないのに「傘」は盗まれるのか。

 先日、イタリア、韓国、中国からの留学生の子達とこの話になった。なんでも韓国でもカフェでトイレに行くのにノートパソコンを席に置いたままでもまず盗まれないらしい。でも傘はやはり盗まれる事が多いのだとか。そしてイタリアでは何でもかんでも関係なく盗まれるのでトイレに行くときも全てを持っていくのが普通らしい。

 そこで中国出身の子が「ノートパソコンは(値段が)高いので盗んだら申し訳ない気がするが、傘ならそんなに値がはらないので罪悪感が少ないんではないか」と興味深いご意見をおっしゃっていた(残念ながらその子の故郷の中国がどういう感じかは聞きそびれてしまったが、日本に来て「傘が盗まれる」のにはかなりビックリしたらしいので、もしかすると少なくともこの子が住んでいた地域ではパソコンも傘も盗まれないのかもしれない)。

 以前に「西洋文化は神と自分との関係」だが「東洋文化は他人と自分との関係」を重んずる、みたいな話を聞いたことがある。そう考えると、もしかすると西洋人(すいません、今回はイタリアだけをサンプルにさせてください)は罪悪感を感じるのも「神に対して感じる」のに対し、東洋人は「他人に対して感じる」のかな、なんて思う。そう考えると韓国や日本で自殺が多い(「社会」と言う集団の意味がデカイので、その中で居場所が無くなると死ぬしかないと感じるのかもしれない)のも納得が行くような気がする。

 どっちが良いとかそういう話では無くて、そういう「文化の違い」って面白いなと思う。まあせっかく今は国際的な世の中なので、お互いに異文化に触れて取り入れられそうな考え方があったら「イイトコドリ」してお互いに自分の人生を豊かにして行けたら良いんじゃないのかな、なんて今は思っているんである。

*そしてここからは本日の記事に関係がありそうな本のリンクです。


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