見出し画像

「負けを認める」とスッキリする。

 人間なので勝つ時もあれば負ける時もある。本当若い時の自分に教えてあげたいが、昔は本気で「いわゆる勝ち組の人生」を送ろうなんて思っていた。う〜ん? そもそも勝ち組って何だ? その事が少しずつ疑問になり、人生に勝ちも負けも無いんじゃないの? と思ったりするフェーズを経て、今この時点での僕は「もしこの世の中に勝ち組の人生が存在するなら、それは勝ったときの自分も、負けたときの自分も心の底からよくやったと祝福してあげられる人生」と言う気がしている。

 しつこいが「こんまりメソッド」で言う「ときめかない物を買ってしまった自分(いやその時は思いっきりときめいていたのかもしれない)」「それがときめかなくなってもズルズルと取っておいてしまった自分」、そのどちらの自分の事も責める必要は無い。それどころか「ナイストライ。ここでそれが要らないものと気付けただけでも凄いじゃん」と褒めてあげれば良いのだと思う。

 そして負けを認めるとその「間違ってしまった自分」をかなりな部分手放す事が出来てスッキリした気持ちで次に進める。「凡打」を「ナイス凡打」にするにはそこから何かを学ばないといけない。つまり「ヒットでは無くて凡打を打ってしまった」という「負け」は「負け」としてちゃんと認めつつも、そこで自分の事は決して責めずに進んで行くという事。これからも僕はそこを心がけながら、楽しみながら人生を生きて行きたいなあ、なんて思っているんである。

*恒例のここからは僕の著書です。ボーカルとベースの教則本です!!!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?