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「打たれ強い」か「打たれ弱い」か決めているのは、実は我々自身だ。

 こちらも最近になってようやく少しずつ理解できて来ている感じがするのだが「打たれ強い」のか「打たれ弱い」のかって、実は自分自身で作っているのかもしれない。恐らく一番最初はみんなそんなに変わらないのだろうが、前提条件が「打たれ弱い」だと、何かトホホな体験があった時に「本当に打たれ弱い人」みたいに弱気に立ち回ってしまい、どんどん「自分は打たれ弱い人だ」と言う確信を強めて行ってしまう。だが逆に前提条件が「打たれ強い人」だと、全く同じトホホな体験があっても「本当に打たれ強い人」みたいに強気に立ち回れて、その実績を通じてどんどん「自分は打たれ強い人だ」という確信を育てて行かれるのだろうと思う。

 なのでやっぱりここも「感情」ではなくて「意思」の力で自分をコントロールしたほうが良いような気がする。嘘でも良いので「僕は打たれ強い人間だ」と宣言してしまうとか。

 ただ少しだけ危険だなと思うのは「打たれ弱い人だな」と思ってしまう自分を責めてしまうパターン。逆に「打たれ弱い人」には「他人の微妙な感情の機微が分かる」と言う長所があるはずなので、一概にそれが悪いとは言い切れないはずで「それはそれで良い面もある」はずだ。

 ちなみに英語にNumbと言う言葉があって、よく「麻痺」と訳されるのだが、本当はダメージを受けているのにnumbな状態になって自分で自分を麻痺させてしまい、結果的に打たれ強い感じで行けるのもそれはそれでやや危険な香りがする(つまり打たれたことに気付いて無い感じで進んで行くのだが、それって知らず知らずに本人の中にストレスが蓄積して行く可能性がある)ので「ダメージを受けている自分」自体はそれはそれでちゃんと認識してハグしてあげて、そこから「なんちゃって打たれ強い人」の態度で対処して、徐々に「打たれ強いセミプロ」、そして最終的には「打たれ強いプロ」に育って行けば良いのでは無いのかな〜、なんて今は思っているんである。

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