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ある一定の人数からは必ず嫌われる。それが人間と言うもの。

 自分だって、世間的に「この人は凄い」と思われている人を「そうかなあ、個人的にはそうでも無いと思うけどなあ」なんて思う事もある。もっと身近な人間関係でも「誰々さんは凄い」と言われている人を「そんなに凄いかなあ」なんて思ってしまう事も正直ある。なので、自分が誰かからネガティヴな感情を持たれていたとしても、気にする事は無いんじゃないかな、なんて思う。むしろ誰からも嫌われないと言うのは「良い人」なんじゃ無くて「どうでも良い人」にカテゴライズされてしまっているのでは無いかと思ったりすらする。

 と言うわけで自分が嫌われた時には「やった、嫌ってもらえるぐらい気にして貰えているんだ」とむしろ喜ぶようにしている。ちなみになんと無くチャチャっと料理してそれなりな物が食べられれば良いやと思っていた頃は、火加減なんて正直どうでも良かった。その頃の僕に誰かが「誰々さんの料理は凄い。その通りの火加減でやったら柔らかくジューシーに出来上がって、普段の倍ぐらい美味しかったよ」なんて僕に言って来ても「は? 誰それ? 火加減なんてどうでも良くない?」と心の底から思ったであろう。

 つまり人は物事の100パーセントでは無くて、自分が見たい要素だけを選択して見ている。誰かに嫌われたと言う事は、あなたの素晴らしい面がたまたま嫌って来る人の興味がある事、見たい事の範疇に入っていなかっただけ。そう言う時には静かにその場を去る(CLUB HOUSE で言うところの「Leave quietly」)で良いんじゃないのかな、なんて思う今日この頃なんである。う〜ん、CLUB HOUSEせっかく招待して頂いたのに、全然やっていない…。

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