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「逃げたら負け」から「やめるのもあり」に

私はオンラインの授業で、
中国の学生を担当することが多いんですが、
最近、生徒とオンラインで話していて、
こんな言葉を口にする学生が多いように思いました。

「わたしは今の仕事に向いていない。だからやめたほうがいい」とか、
「目標の大学に入れなかった。だから自分には価値がない」とか
「結婚できない。だから自分は敗者だ」と。

もちろん、生徒たちは日本語勉強中なので、
表現が足りず、やや極端な言い方になってしまう、
という部分あるとは思いますが、
何人かがそういうような考え方をしていたので、
「わたしも10代~20代に、そんな考え方をしていたのかな・・」
と思いつつ、
そういう考え方は、ちょっと危ないなあと思ってしまいました。

物事をあまりにも、単純にしてしまっているように感じます。

仕事に失敗した自分→だから→仕事をやめたほうがいい
結婚できない自分→だから→価値がない

そんなふうに単純に答えの出る問題じゃない
という気がして心配になりました。

それに、よくよく見ると、「だから」という言葉で、
前後の話がまるでつながっていません。

ものごとを概念だけで単純化してしまうのは危険だなあとかんじました。

そんな折、ある体操の選手が試合を棄権したというニュースを見ていて、
ある言葉に目が留まりました。

「愛情と支援をたくさん受け取り、
私は自分が実績と体操競技以上の存在だと認識した。
以前は、本心からそう思うことはなかった」

私自身は、オリンピックにまったく興味がなく、
ニュースもほぼスルーしているのですが、
このニュースだけは面白いなあと思いました。

というのも、これまでこれほどの大きな大会で、
メンタルへの配慮が理由で試合を棄権する、
という例について聞いたことがなかったので、
とても新鮮に感じました。

これまで立派な成績を残してきた選手が
「自分の競技や成績より、私のほうが大切」という言葉を、
公に言える勇気はすばらしいと思います。

本来そういう選択肢だってあって、いいはずですよね。

糸井重里さんもこの件で、
「この決定は、人間の豊かな可能性の一つを示した」
という趣旨のことをおっしゃっていました。
(ほぼ日は転載していいのかわからなかったので、
ポイントだけ引用させていただきました)

本当に、その通りだと思います。

「0か1」かで割り切れない、
頭だけで考えても答えが出ない、
複雑で、柔らかくて、わかりにくい、
いろんな可能性を持っているのが人間です。

物事を単純化して自分を追い込むことも、
受験とか、大切な仕事とか、
人生の重大な局面では、
必要なこともあるかもしれません。

でも、その追い込み方は相当リスクのある方法なので、
ブレーキも一緒に用意しておくべきはずなのです。

でも、受験、就職と追い込む局面が多いと、
本人も、周りもついそのブレーキを準備し忘れることがあります。

「逃げたら負け」だけではなく、
「やめるのもあり」というブレーキがあっていいはずです。

「仕事は自分の人生より大切」と意気込んで見せながらも
「たかが仕事」とうそぶいている、
「やめたってなんとなる」と口笛を吹いている
そんな自分もどこかにいていいと思います。

つぎに、生徒たちが同じようなことを口にしたら、
今度は言ってあげたいと思います。

「あなたという存在は、その仕事よりももっと大切」

「いろいろな選択肢があったっていい」

#心理学 #日本語教師

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