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山口で15年営業するオルタナティブスぺース スタジオイマイチの遍歴

近年、アーティストが個人スタジオといったスペースを所有し、一般市民や外部との対話の場を提供する傾向が増えています。以前にもアーティスト主導のスタジオは存在していましたが、今ではその性格が異なるようです。特に劇場での仕事を営んでいたアーティストやエンジニアといった関係者がCOVID-19パンデミックによって仕事を失った際、交流の場として個人の場所を持つことが見直され、その場所を通じて他者との情報共有や身体を通じたコミュニケーションが促進されると考えるコモンセンスがあるようです。これは世界的な傾向の一部として見られます。

2012年結婚披露宴「五五今市披露の会」

「スタジオイマイチ」のような小規模スペースが15年以上の長期間にわたって運用され、様々な方法を発明しながら維持されている事例は、今後のオルタナティブスペースの立ち上げと運用に貢献できる可能性が示唆されます。これからアーティストが新しく自身のスペースを所有するうえで、このドキュメントを参考にして芸術と文化の発展に寄与することを期待します。


2008年新年会と作品試演会を同時に行っている。江藤由紀子
2008年8月「空調設備募金演奏会」大友良英
2012年1月「数学×ダンス」ワークショップ 森田真生、山田うん

スタジオイマイチとは

スタジオイマイチは、もともと2004年に山口情報芸術センター[YCAM]で行われた振付家・井手茂太による新作ダンス公演への公募参加で集まった市民メンバーが、その公演後もダンスユニット「ちくは」としての活動を続けたいという意図から結成され、当初の目的は、このダンスユニットのための練習場を確保することでした。

スタジオの基本コンセプトとして『身体表現の実験と批評の場』を提供することです。スタジオ設立に関わった人々に由来し、ダンスユニット「ちくわ」の練習場だけでは運用しきれないこともあり、山口大学の学生演劇グループ劇団歩行訓練、舞踏家の宇野萬とそのカンパニーなど、複数のグループがそれぞれの作品を練習、発表場所して使用し、活発な『身体表現の実験と批評の場』として運用されてきました。

最初のスタジオイマイチは2007年に山口市駅通りの裁判所の前に位置し、駅からわずか250m、徒歩3分、駅通りに面し今市のバス停前のビルの2階の40平米程度のスペースです。
当初は作品制作とその発表公演を中心に行い、貸館はバレエ教室とヨガ教室だけで、単発利用はほとんどありませんでした。
2015年に雨漏りの問題から新しいスペースに移転しました。次の新しいスペースは裁判所の前から商店街に約200メートル、老舗の床屋の中村理髪店は現在も営業中で前スタジオよりも一回り大きい50平米です。以前のほぼ廃墟の大平ビルと比較して、一般的なテナントで、ここでは2階だけを借りています。昼間には建物に直接響く騒音が問題になるので、イベントの様相は大平ビル時代とは異なり、音楽イベントは控えめになりました。
また、新しいスペースでは床と鏡の仕上がりは美しく、リサイクル材料を使用したDIYではなく、プロの大工による施工を依頼しています。特に大きな鏡はバレエやストリートダンスなどの活動にとって大きな利点があり、大学の学園祭シーズンには貸し出しの需要も増加しています。

改装中のスタジオイマイチ、谷竜一、江藤由紀子

2007年
11月スタジオオープンよりも先に大平ビル1Fカフェバー「マングローブ」開業
12月15-16日スタジオイマイチ「OpenPerformance!」山口市駅通り2-3-22大平ビル2Fにオープン。
2008年
1月コンサートを中心としたパフォーマンスイベント「AirPockets」シリーズ始まる。
7月山口、博多、別府の三都市巡回プログラム「ご近所計画」始まる。出演は真吉(福岡)、集団:歩行訓練(山口)、seira (大分)
2009年
4月25日ちくは「253 自分を語る小物」福岡演劇フェスティバル
2012年3月11日東日本大震災
2012年
5月5日大脇夫妻結婚披露宴「五五今市披露の会」大平ビル3Fに、大脇夫妻、谷、大平の4人で生活始まる。
5月19日「ピカ★イチ試演会vol1」が始まる。
6月宇野萬逝去
8月4-5日山口ちょうちんまつりに「お化け屋敷」はじまる。
9月15日集団:歩行訓練「不変の価値」フェスティバルトーキョーで上演
2014年
3月谷竜一東京芸術大学入学のため移転。
5月27日「1階ありがとう打上パーティー&ピカ★イチ試演会」スペース運用費の問題から大平ビル2階スタジオだけの契約に変更。
2015年
10月山口市道場門前2-15 中村ビル2Fにスタジオ移転。
2018年
スタジオ10周年企画対話の時間「10年後をソウゾウする」
2020年COVID-19パンデミックが日本でも始まる
2021年
1月 「ドラマチックバーゲン」えんげき屋さん
7月シアタースクール「イマイチ番地」始まる。

スタジオに関わる人物達

大家さん

この建物の1階には閉店した床屋が入っており、2階と3階は廃墟状態でした。建物の大家である大平さんは2階の一室に住んでおり、私たちの要望に驚くほど快く応じてくれました。実際に改装工事が始まる初日、大平さんは前日に急な健康問題で入院する事態が発生しました。それでも私たちは改修工事を続けました。工事はダンサーや劇団員、デザイン科の学生など、空いた時間に協力し、リサイクルの材料を使用してDIYで作りました。
スタジオは2007年12月にオープンし、大平さんは半身不随ながらも3階に住み続け、来館者として頻繁に足を運んでくれました。彼はスタジオのイベント審査員を務めたり、スタジオ収益を気にかけて自動販売機の設置を提案したりしました。大家さんのオルタナティブスペースへの理解と協力は、私たちにとって大きな支えでした。
しかし、2014年頃から大家さんはスタジオへの来館が難しくなり、医師の指示に従い自宅に帰宅しました。同時期に建物の老朽化も進行し、雨漏りの問題が発生しました。そのため、2015年には駅通りにより近い商店街に移転することが決定しました。
新しいスタジオの大家さんは常に親切で、野菜を提供してくれたり、私たちの活動に理解を示していますが、イベントにはまだ来館していただけていません。

ダンスバトルの司会を務める大平さん

宇野萬

大平ビル時代のスタジオにおいて、宇野萬は重要な人物として挙げられます。宇野は、1974年から1980年まで大駱駝艦に在籍し、アングラ演劇や舞踏の黎明期に多くの経験を積んできました。そのため、オルタナティブスペースに関する理解と具体的なビジョンを持っていました。
私たちがスタジオを製作しようと試みた際に、宇野はすぐに駆け付け、自らも床の施工を中心に手伝ってくれると同時に、1階の床屋スペースの契約を大家さんから取り付け、1階をあっという間にバーに改装しスタジオより先にオープンしました。このバーの名前は「マングローブ」で、文化的な交流を目的とし、マングローブの樹が複数の根が絡まっているように文化や人が絡まっているというイメージだと聞いています。
スタジオとバーの二つの運用は、スタジオイマイチの活動に大きな影響を与えます。スタジオで行われた多くのイベントの打ち上げ会場や遅延会などとして機能し、一階は入りやすい特色をいかして、時にはバザーや芸術作品展示も行われました。さらに、スタジオ利用者のダンサーがバーの店員としてアルバイトしたりと、アーティストの経済的な面もサポートしました。
バーマングローブは2011年に閉店し、宇野は2012年に逝去されます。その後も一階はコミュニケーションスペースとして大平ビルから移転するまで活用されました。

床と壁を施工する宇野萬
マングローブで宇野萬とちくはメンバー、左から、中島由美子、桑野由起子(くはっち)、平山真紀子、宇野萬、佐藤恭子、江藤由紀子、(奥)イフクキョウコ、一楽まどか、(前)新田裕子、鎌田明日香

谷竜一と集団歩行訓練

次に紹介すべき人物、劇団「集団:歩行訓練」の代表の谷竜一は当時山口大学の学生で、多くの作品を制作しスタジオで発表しました。特に歩行訓練の代表作「不変の価値」はフェスティバル/トーキョー12 vol.19 にも選出されました。谷竜一はミュージシャンやファインアートのアーティストを連れてきてライブパフォーマンスを行ったり、幅広い実験的な活動を展開しました。また、劇団員の人見功一、中村洋介は活発に実験的な演劇活動をおこなっていました。中でも人見の喜劇グループは実験的なコントイベントを積極的に上演しました。谷は2014年に東京大学に入学するために東京に上京し、現在は京都芸術センターでプログラムディレクターを務めています。彼の多才で実験的な活動はスタジオイマイチに大きく貢献しました。

2013年演出家レジデンス滞在制作プロジェクト「当然の帰結 未必の故意」左から、谷竜一・村山悟郎・ 渡辺美帆子・村川拓也

宮崎萌美と劇団シバイヌ

次に谷竜一と入れ替わるように劇団シバイヌの宮崎萌美が頭角を表します。
宮崎が主催する劇団シバイヌは社会的な問題を取り上げつつも、ストーリーの組み立て自体は人情劇に徹底しており、家族やコミュニティがさまざまな困難から立ち直るといった関係性が回復する内容がベースとなっています。宮崎は谷に比べると実験的なインパクトは控えめですが、SF、ミュージカル、時にはジェンダー問題など社会的な問題に正面から取り組み、様々なスタイルに取り組みます。山口の社会人劇団の中では活動歴が長く、また他の社会人劇団や学生劇団と広く交流があります。また、集客からせまいスタジオイマイチでは本公演はおこなわないのも特徴です。劇団シバイヌは現在も活発に活動中です。

えんげき屋さんメンバー、2017年1月ドラマチックバーゲン

時代の流れと創作のスタイル

谷が在籍していた頃、311以前はSNSの利用はまだ少数で、情報は主に新聞やテレビなどのマスメディアに依存している時代でした。その頃はまだ文化への資金の流れが現在よりも好調な時代で、大規模なコンペティションや演劇祭、海外からの劇団やダンスカンパニーの招聘が盛んで、時代的に高い文化的コンテクストを持つ作品が一般の人々にも広く視聴される傾向がありました。しかし、311以降はこれらの社会的な文化への関心の移行が縮小していく時期でした。この時代背景はスタジオイマイチでの作品製作に少なからず影響を与えていると思われます。
311以前は作品は国際的な批評を意識して制作され、そのことから芸術のための芸術として創作が良いという風潮がありました。しかし、311以降は社会背景の影響もあって、自分をとりまくコミュニティーに開かれて製作される傾向があるように思われます。谷の創作スタイルと宮崎の創作スタイルの違いは、時代の変化が反映されているとも言えるでしょう。

スタジオイマイチのプロジェクト

ご近所計画

作品制作を後押しするプロジェクトとして「ご近所計画」というプロジェクトがあります。
このプロジェクトは、各都市複数のオルタナティブスペースが作品を交換するプロジェクトで、山口市、博多、別府の3都市で実施され、各スペースから1作品を提供し、各地で3回公演しました。つまり合計9公演上演する必要があり、複数上演することで作品はより良いものにブラッシュアップされます。
このプロジェクトは2008年から2011年まで全4回行われました。2010年の3回目から開催された「支援会」というアプローチは、各スペースで制作途中の作品を観客に公開し、観客から意見を収集しました。これにより、観客とアーティストの対話を通じて作品を発展させるプロセスが進行し、観客も作品に参加した感覚を持つことができました。
このプロジェクトは、地方の演劇・ダンスグループが他のグループとの交流と地方の文化芸術の活性化に貢献できるとともに、自分たちの作品やパフォーマンスを広く発信を目的とする一方で、予算や精神的な負担を最小限に抑えつつ、最大限の観客数や収益を獲得できるように考えたプロジェクトで、自動車で移動できる範囲での交流が重要です。また、リハーサルを含めても週末にコンパクトに収めることが盛り込まれています。
4回しか行われませんでしたが、オルタナティブスペースが協力し合うことで地方の文化芸術の活性化に貢献できる有用なプログラムと自負しています。

イマイチTV

イマイチTVは2009年にYoutubeで毎月配信した映像コンテンツで1年間番外編を含み19コンテンツを公開しました。江藤由紀子による「名所でダンス」シリーズは山口県内10か所で撮影され、ほぼ毎月配信されました。当時はYoutuberという言葉はありませんでしたが、この企画は先駆的と言えるでしょう。

対話の時間

この時期からは、様々なアイデアをプレゼンテーションする「ピカ★イチ」イベントや「イマイチ番地」など、舞台作品に限定されない交流を目的としたイベントが企画されるようになりました。
中でも、スタジオイマイチの10周年を迎える際には、対話の時間「10年後をソウゾウする」全4回講座・ワークショップが行われ、AI、環境といった様々な主題を暮らしの中で考えるためのヒントを検討しました。

お化け屋敷

人気のあるプロジェクトの一つは、「お化け屋敷プロジェクト」です。このプロジェクトは毎年、山口市駅通りで開催される山口七夕ちょうちんまつりに出店するエンターテイメントイベントです。「怖い」をテーマに、演劇的な体験を提供するもので、想像力豊かで芸術性の高いイベントとして、若い世代を中心に絶大な人気を博しています。
上演形式は、回遊式のアトラクション、プロジェクションマッピングを駆使した舞台。怖い話をインタビューするドキュメンタリー映像作品。COVID-19パンデミック中ではオンラインで行われZOOM画面を一人一人の部屋を地獄に見立てたワークショップなど様々です。
お化け役の出演者の視点からみても、観客からの即座のフィードバックが得られ、身体表現の優れた機会となり、表現者にとっても充実感のあるイベントでもあります。
「怖い」という感情は誰でも持っている感覚で、誰もが共感できる感覚です。どんなにハイコンテクストで難解な芸術作品だったとしても、結論が「怖い」に集約されていれば誰もが受け入れてもらえる最強のエンターテイメントコンテンツです。
近年は、これらの体験に着目し、小学生とお化け屋敷を創作するワークショップを商店街自治体と協力して実施しました。

2013年初回ちょうちんまつり お化け屋敷 大平ビル入り口

移動式スタジオ ライブカー

また近年は、公演などでイベントの実施ができる、軽トラックにDJテーブルとスピーカーユニットを搭載した移動式のスタジオ、ライブカーがあり、大電流のバッテリーも搭載しています。このライブカーは野外で音楽イベントを気軽に行えるように創作されました。
スタジオイマイチにはスペックオーバーなPAシステムがあり、写真に見えているスピーカーはまだ半分です。

山口市中央公園での即興ライブ、中上淳二、谷康弘

まとめ

スタジオイマイチは15年以上の歴史を持ち、様々なイベントや挑戦を経験してきました。現在はSNSを通じて個人で情報発信が可能な時代になり、社会的な変化に対応しつつも、スタジオは独自の運用を続けてきました。一時期はYouTubeを活用した企画を行っていましたが、現在は主軸に置いていません。これは身体表現の実験の場としてはSNSというメディアでは落ち着いて実行出来ないという点が考えられます。現在はインターネットすらスタジオには引かれていません。
一方でストリートダンスや小規模な演劇の公演など、自己表現の場や創作の機会は増えているように感じます。市民が求めるものとして重要性を増しているようです。
運用という点では、作品の上演から収入や、貸館での収入でも運用資金への寄与は限られています。オルタナティブスペース全般が収益に苦しむ傾向がある中、人とのつながりを重視したイベントと経済的な側面とをバランスさせることは困難です。
話は変わりますが、近年コンテンポラリーダンスの発表会を主催しそのイベントではプロのコンテンポラリーダンスの振付家から振りをもらって高校生のバレリーナから一般主夫まで幅広い年齢層とジャンルを横断的にうイベントを行いましたが、自己表現とその発表の場のエコロジカルなサイクルに確かな手ごたえがありました。
オルタナティブスペースは身体表現を単に発信するだけの場所ではなく、むしろ、ここの表現欲求を引き出し、スタジオイマイチはそれらの表現の流れを窓を空けるように外に促進する役割があるのかもしれません。表現者が自由に自分の感情や思考を動きに変えられる場所であり、そのプロセスをサポートする役割を果たします。身体表現はコミュニケーションの一形態であり、観客や他の表現者と共感や対話を生み出す可能性があります。そのためには、表現者は自分の身体に正直であり、自分の声を見つける必要があります。スタジオは、そのような表現者の成長を促す空間として、これからも重要な役割を担っていくでしょう。


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