不恰好は、かっこいい。
ああ、ダメだ
ああ、恥ずかしい
ああ、難しい...
諦めのボヤけたシルエットが
明確な輪郭に近づいて
どうしようもなく不恰好な私を
どうしても壊したくなる時
複雑に積まれた積み木が動き出す
前に後ろに歩き出す
かっこよくないな
いやそんなことはないな
複雑な節を操りこなし
器用に歩くその背中に
知らない恰好いいを知った
もうすぐ春
今年もまた木が積まれる
2024・冬が終わるころに
ふと振り返る
3年前くらいだったかな、アイデアをノートに殴り書きしたのは。
PUN〈パン〉の原型は、私自身に対する失望と、私自身に対する希望が出会ったことで生まれました。とんだ両親。
擬人化の癖
私は、色々なものを擬人化して見るクセがあるのだけど、自分に対する”操りにくさ”みたいな感覚を抱いていた時、私って(広く捉えて仕舞えば、私たち人間って)ルービックキューブみたいなカタチなのかな?なんてふと思い。どの面を正面に向けるかで、その人と成りが全然違って見えて、でも、その多面体全てが実は自分自身なのだけど、自分でも全部は把握しきれていなくて...みたいな。
だからなによって話なんだけど、そう考えると、好きじゃない自分が前面に出て落ち込んだ日とか、相手によって若干態度を変える奇妙な自分を見つけた時とか、その不安定な生き物加減が嫌気通り越して愛おしく感じられて、スーッと全てを受け入れられるというか。ニンゲンニンゲンしてて私可愛いなって。
擬人化することが私にとって、誰からの言葉よりも説得力のある励ましになる時があるんです。皆んな優しいから現実を直ぐにはぶつけてこないし、正直にぶつけられたらられたで多分一旦は傷付くし。
とてつもなく複雑で厄介で有機的な生き物として生きているからこそ、だからこそ私は、モノとか植物とか、感情のない無機物な存在や、生命体として真っ直ぐに生きているものたちに安心感を覚える。正直なのに無害だから。不自然なことが起きないから。そんな傾向があります。
積み木の物語が始まる
そんでもって、この気付きを私以外のヒトにも共有したいという自分本位な気持ちから、キャラクター制作に乗り出しました。事の発端はルービックキューブへの擬人化であったけど、紆余曲折、その形や動き、親しみやすさから物語の発展性まで、私の掛け得るすべての時間を使って考えた結果、今の積み木の形態に辿り着きました。それが去年のこと。
それから何無区においてその発表の時期を見計らい、この度この機会に公に発表しようと覚悟を決めました。そして”この機会”というのが、これ。
展覧会開催に向けて始めたクラウドファンディング的グッズ販売。第一弾は去年の11月に。第二弾は12月に。そして本日2/22に販売開始なのが第三弾。「冬だけど、地中では春の準備が進んでるよ!」がテーマの第三弾は、何もかも上手くいっていないと感じる日々にその姿が浮かび上がってきたPUNらしい、くすみ色を纏ったほろ苦い祝祭の雰囲気。だと、私は解釈。門出の機会に決めました。
PUNがこれからどんな存在になっていくかはわからないけど、誰かの記憶に残り、誰かのことを励ますことに繋がるように、真摯に向き合っていく所存。まずは5月の展覧会で、私たちの頭の中を高崎という空気で酸化させて、道を見極めていこうかなと考えておりますゆえ、関係者各位(何無区に関係者なんて存在しないな...)改め、リアル友人や心の友人、リアル他人から心の他人の皆様、分け隔てなく足をお運びいただき、私たちを6日間で酸化させてくださいませ。
ここまで1490文字。原稿用紙約4枚分の読書、ありがとうございました。
fin.
吉井麻裕
応援してくれてありがとう。
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