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【事故物件の日記】#1

『始まり』

お笑いコンビ・リッチドッグです。

宮本と山中のコンビ。
自分は宮本です。

あれはコロナのパンデミックが始まった2020年1月頃にさかのぼる。

当時の我々はとにかく漫才漫才漫才…
ライブ、バイト、ライブ、バイト…の繰り返し。
自分はネタ作りも担当しているので、
夜までバイト、夜中3時頃まで漫才の練習、帰ったら体力が続くまでネタ作り…
の繰り返し。
とにかく売れるのに必死でお金も時間もない。
月に4本は新ネタを作り、2人で覚えて、月に10本はライブに出る…
と言うのを自分のノルマにしていた。

そんなお金も時間もない生活が何年も続いていた。
どれくらいお金がないかと言うと、晩ご飯を買えずにお煎餅で済ませるとかそんなレベル。
お金もなければ友達もいない。と言うより遊ぶ時間もない。時間があれば常にネタ作り。
親にも申し訳ない気持ちが積もり、ライブで結果を出そうがチャンスが巡って来る気配は一切ない。
ただ唯一『テレビ出れば一気に変わるよ』的なことをよく聞いていたのでそれを信じて頑張っていた。

ただ自分の中ではそれも懐疑的だった。
『あの日本一を決めるお笑いの大会で決勝行ってテレビに出てもバイト辞めれてない先輩がいっぱいいてる。テレビに出たら生活変わるって昔の話じゃないのか?』
冷静にそう思っていた。 

それでも毎日が忙しすぎて、そんな話し合いを相方とする暇もなかった。

コンビにも何となく疲労感が出始め、
この先どうなるんだろう?と思いながらも
立ち止まる時間もなく
ただただバイト、ネタ作り、練習、ライブを繰り返す日々。
お金も希望もなく、不安と疲労だけがひたすら溜まっていく感じ。
年齢を1つ重ねるごとに周りから人も離れていく。

そんな時に起きたのがコロナのパンデミックだった。

状況は一気に変わった。

今まで生活の中心だった漫才ができなくなった。
ライブは全て中止、毎月出させてもらっていた温泉の営業も消え、全てが変わった。
ついでも自分はバイトも消滅し、相方もバイトのシフトが一気に削られた。

全てが変わった。

それでも周りの芸人達はコロナ前のやり方を続けようとしていた。

自分はこう見えて色々な本や記事を読むのが好きだ。
たくさんの物を読み、すぐに感じた。

『コロナ前と同じことをやっていたら絶対に終わる。』

パンデミックで社会が一気に変わる。
頑なにハンコや会議にこだわる会社は、
リモートやデジタル化する会社に負けて消えていく。

リモートなら10分で終わる話を
わざわざ顔を合わせて何時間も会議している会社が生き残れるはずがない。
『本をわざわざネットで買うやついねーよ』
数年前そう思っていた人が多かったが
今やAmazonが小売りの王者。

それくらい社会の変化がある中で、芸人もやり方を変えなければ絶対売れない。

そして忙しくて立ち止まる時間がない我々に、
漫才もバイトも出来ない状況が
立ち止まる時間をくれた。
 
自分はある言葉がずっと引っ掛かっていた。

高校の時、学校をサボって本屋で立ち読みした本に書いてあった

ビートたけしさんの言葉。
『売れる芸人になりたかったら、右肩上がりのメディアに飛び込め』

この言葉が実は何年も前からずっと引っ掛かっていた。

例えばビートたけしさんがあれだけ偉大になったのも、テレビ自体の影響力がずっと右肩上がりの時代にテレビの世界に飛び込んだから。

これからテレビはどんどん影響力なくなっていくから、売れたかったらテレビ以外を目指せ…と言う言葉だった。

この本を読んだのは10年も前だ。
当時テレビの影響力が落ちるなんて全く想像できなかった。
それが10年後、本当にテレビの影響力が落ち、スターと言えばYouTubeを戦場にしているHIKAKINさんやヒカルさんやはじめしゃちょーさん…
本当にビートたけしさんの言葉の通りになった。
ハッキリ言って芸人は人気も収入も影響力もYouTuberに負けている。

自分はパンデミックでこの流れが更に加速すると思った。
そうじゃなくても全ての仕事を失い、もうそれしか方法がない状況でもあった。

今まで立ち止まる時間がなかった2人だったが、相方にその事を話してみた。

『売れるため、最後の賭けでYouTubeに全振りしてみよう』と。

こうして芸人でありYouTuber・リッチドッグが生まれた。

当然最初は全く再生されない。
登録者100人、再生回数も20とか…笑

周りの芸人達からは逃げたみたいな冷たい目で見られるし。笑

それでも何となく自信はあった。

元々 漫才よりトークの方が面白いとずっと言われてきた上に、自分は過去にネット番組の企画、構成をずっとやってきてそれなりの数字を記録してきた。

それに
今までオーディションで評価されるため型にハマった笑いをやっていたのが、自分達の好きなようにお笑いやれるようになって久々に楽しかった気がした。

YouTubeの審査に通り
やっと広告がついたのがそこから1年後だったかな…
それでも最初は1日数十円、数百円の世界。

でも初めて自分達の動画に広告がついたときの感動は堪らなかった。
ケンタッキーのクリスマスのCMだった。
あの時のことは忘れない。

もう迷いのなかったリッチドッグは
更にYouTubeに打ち込んだ。
もうこれしかない。これでダメなら解散して引退。
何となく2人ともそう感じとっていた。

YouTubeの数字も少しずつ伸びてきた夏頃、
更にYouTubeに打ち込もうと相方と引っ越しを決断した。

家賃を抑え、バイトを減らし、更にYouTubeに打ち込む時間を確保しようと。

そしてこの引っ越しが
リッチドッグの運命を大きく変えることになった…


続く。
 

当時の動画達。






※だいぶ月日が経っているので記憶が曖昧なところも多少あると思いますがご容赦下さい🙇‍♂️

リッチドッグ 宮本

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