「恋の病」を治すため「熊野」へ(熊野旅その5)~ようやく「熊野本宮大社」到着~
【前回までのあらすじ】
後輩が年末に患った「恋の病」。なかなか良くならない「恋の病」を治すため、年始早々に蘇りの聖地「熊野」を目指す男二人。ただでさえライフポイントが限界の後輩は、熊野三所神社でカップルを見かけてダメージを受け、エビフライで回復し、さらに恋人の聖地・三段壁でダメージを受けるのだった。急ぎ熊野三山のうちの一社「熊野本宮大社」を目指すことになった。
【冬の山道でスタッドレスタイヤを履いていない後輩】
熊野の山中はまだ雪が残っていた。スタッドレスタイヤを履いてきて、とあらかじめ言っていたが、後輩は「あー、スタッドレスってなんのことかわからないんで、普通のタイヤっす」と真顔で言う。
「ウン・・ウワーン・・ウン・ウワァァァァーン」と安定しないエンジン音が響く中の熊野路は怖くてしょうがない。
熊野本宮大社のあたりは田舎というより秘境と言うべきで、山道の奥にある。商店は午後6時に閉店するYショップのみであった。
【熊野本宮大社に到着】
ようやく熊野本宮大社に到着した時には夕方だった。
全国4700社以上ある熊野神社の総本宮である。
ようやく着いた感動はあるが、山道の緊張感からげっそりしつつ、とにかく熊野本宮大社にお参りする。
【八咫烏の伝承】
熊野本宮では神武天皇を導いた八咫烏の信仰がある。看板にも書いてあった。
八咫烏の咫は親指と中指を広げた長さ約18㌢のことであり、八咫は18×8=144㌢となる。三種の神器の一つ八咫鏡と同じ語源だが、ずいぶんと大きなカラスだなぁ。八百万の神的なとにかく多い、大きい的な「八」なのだろうか。
ちなみに八咫烏はエンブレムにあるように三足として描かれがちだが、「古事記」「日本書紀」には三足とは名言されず、中国・朝鮮半島の伝承「三足烏」と平安時代に同一視されたのだという。
【月が三体あらわれる!?熊野本宮大社の由緒】
熊野本宮の主祭神である家津美御子大神は三貴神が一柱・素戔嗚尊とされている。
ご創建には不思議な話があり、第十代崇神天皇の御代(紀元前33年)に神が降臨し給うた、と言うのである。
古代の熊野の地は熊野國造家が治めていたが、その祖神を天火明命と言い、その息子・高倉下命は神武天皇に天剣「布都御魂」 を献じた人物である。さらにその孫である熊野連は熊野本宮大社の櫟の巨木三体の月を見たという。
不思議に思った熊野連は月に尋ねると、真ん中の月が「我は證誠大権現(素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野速玉大神と熊野夫須美大神)である。社殿を創って齋き祀れ」と答えたというのだ。
二千年前とはいえど、神様が実際に人間の前に現れるとはすごい話しである。
ちなみに神が降臨した地は、現在の熊野本宮大社ではない。500メートルほど先の大斎原と呼ばれる旧社地であり、明治22年の十津川大水害によって、移動したのだという。
神が降臨した大斎原に行かねば!!
(その6)~大斎原(おおゆのはら)でUFOを見てしまう~へ続く。
【後輩のライフポイント】
🔴🔴◯◯◯◯◯◯◯◯ 2/10
※長時間の山道運転で疲れてしまった。
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