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果たしてあの展開は面白いのか~映画感想『BLUE GIANT』~#2

ああ、なんかslumdunkみたいに熱くなれて、映像的にも凄い作品のアニメ映画公開されないかな〜
あれ? もうやってるみたいじゃん!

という訳で、slumdunk以来の話題のアニメ映画『BLUE GIANT』を鑑賞してきました。

映画館の大音量サウンドで放出されるジャズミュージックは聴くものを
圧倒し、余計な音一つ立てたくないと思ってしまう程の音楽空間へ引きずり込まれ、スクリーンには主人公達が立ち上げたジャズバンド『JASS』が魂を込めた演奏が色彩豊かな映像と共に奏でられている姿はまるでライブ会場にいるかのような錯覚になりました。

しかし、個人的には物語の起承転結の『転』の展開がどうしても違和感があり今回その辺も含めて感想を書かせていただきます。
ちなみに原作は未読で映画のみの知識になりますのでご了承ください。

〈あらすじとキャラクター〉
宮城県仙台市で暮らしている主人公宮本大は高校を卒業してから、東京で
ジャズのバンドに加入して演奏をしたいと上京を果たします。
そこで出会った同じ年齢のジャズピアニスト沢辺雪折と、地元の同級生で同じタイミングで上京した玉田俊二と『JASS』を結成して、雪折の掲げた
ジャズクラブの最高峰と言われる『SO BLUE』を10代で演奏してみせる、という夢を目指すためにジャズライフを歩んでいきます。

ジャズはバンドを結成してもずっと一緒にいられるわけではなく、演奏中一際目立つ人が評価されます。そのため、セッションを重ねる中でグループではなく個人で評価されたいと切磋琢磨しながらも、まるで青春スポ根ドラマのような熱い友情も生まれながらそれぞれを認め合っていきます。

宮本大 テナーサックス担当
小さいころにジャスの演奏を聞いてから自分もテナーサックス奏者になりたいと、宮城にいた頃から雪の日でも川辺で練習を続けて、上京した際はもともと別のジャズバンドで既に演奏経験のある雪折や『JASS』の練習場所としてステージを貸すようになるバーのママを、暴走気味ともいえる圧倒的な音量でねじ伏せるほどの実力です。性格はとにかくまっすぐで、ジャズが出来れば他はなんでもいいとジャズ馬鹿ともいえるキャラクター。

沢辺雪折 ピアノ担当
4歳からピアノを始めた天才ピアニスト。大がはじめて彼の演奏を聞いた時は同じ年齢だと思わなかったほどの卓越したセンスを持ち、上品な演奏と甘いルックスで女性ファンも多い。
自分でもピアノの才能を認めており、初心者の俊二にチームを加入を認めなかったり、他人の批判や仲間のミスを平然とひけらかすような傲慢さがあるクールナルシストキャラです。

玉田俊二 ドラム担当
元々上京して進学した大学先ではサッカーサークルに入っていたが自分の熱量と他のチームの熱量に違和感を感じ、サークルを脱退。そんな時都会の誘惑にも負けず、ひたむきにジャズを続ける大を見て、ジャズバンドには不可欠なドラムを自分がやると手を上げ、大学からジャズの世界に入りました。
性格はいわゆるキョロ充キャラであったが、ドラムを始めてからは体躯会計の部活に入っていた経験からか、自分に一切妥協することなく、雪折にミスの回数を数えられてもへこたれず、少なくなるごとに自分のチームでの貢献度として、大学の授業をサボり始める程ジャズに邁進する見守りたくなるキャラクターです。

〈感想〉ネタバレあり
こんな3人が『JASS』を結成して夢の『SO BULE』での演奏を目指して日々練習を重ねて、少しずつ大きな会場で演奏するようになって知名度と実力をものにしていきますが、バンドでの成長がメインというより大、雪折そして俊二それぞれの視点でジャズと向き合う姿が丁寧で3人それぞれに感情移入をしてしまう素晴らしい群像劇にもなっております。

大はテナーサックスを始めた高校時代からはバンドには入らず独学で勉強しており、武器である誰もが演奏中、大を無視できなくなる圧倒的な音の力を持っていることに自分自身も気がついていません。上京してバンドを組んでからようやく、東京でも通用する実力を持っているという事を知るのですがそこで自信過剰になり、怠惰になることなく東京でも川辺で誰よりも練習を重ね、ライバルであるジャズバンドにも臆せず自分のバンドの強みを見せつけていきます。その成長する姿は見ていて気持ち良いです。

雪折は大という怪物的な音の力を持つテナーサックスをコントロールしながら繊細なピアノ技術でバンド演奏を大味にさせないことで、観客を飽きさせず魅了していきます。また作曲担当ということで、どうすれば一番このバンドを活かせるかを考えて曲を作る頭脳的なポジションですが、実はソロパートに個性がなかったり、傲慢な態度から一度は『SOBLUE』のホストからダメ出しを受けて自分に自信をなくします。
その後、大と俊二のジャズの熱意を感じ、自分の音楽人生を見つめ直すことでスランプを克服します。その証として、別のジャズバンドライブの代打でソロピアノを演奏するのですがそのシーンはこの映画の一つの見どころだと思います。

俊二は大に影響を受けてドラムを始めますが、技術的に何百歩も先を行っている大と雪折の足を引っ張らないよう続けられればと最初は消極的でしたが、段々とジャズの世界に嵌って、大や雪折にも負けない演奏をしたいという野心が芽生え始めます。
『JASS』での初めての演奏は観客が4人しかいませんでしたがその一人のお客さんが初心者の俊二を応援したいと目にかけて、その先のステージも上手くなった俊二を見守っていく様子が映画を観ている人の視点とも重なり、ラストステージではそのお客さんが涙を流している姿は、感動しました。
ジャズのことは知らないけど映画を観た人にとっては恐らく一番見ていておもしろいキャラクターなのかなと思います。
ラストステージの俊二のソロドラムは本当に凄いです。

そんな大変見ている側が熱くなる様子満載の映画ですが、とある物語の転換点で私はこの映画から一度醒めました。
それは夢の『SO BULE』への出演が決まるも、なんと雪折が交通整理のアルバイト中突然事故に遭い演奏が不可能になってしまう展開です。

……この展開、いりますか?

実は事故に遭ってもライブの中止ではなく、大と俊二が2人でステージに立ち最後のアンコールでは右腕の折れた雪折が左手だけで演奏するのがラストライブなんですが、私はそんな演奏よりも我儘かもしれませんが、3人共万全な状況で演奏する姿が見たかったです。

3人が夢に向かって進んでいて、自分も3人の夢が実現するステージを見れるかと期待していました。
一応3人でのライブは達成しましたが見終えた私はどうしても不完全燃焼感が残っていました。
練習やステージでの経験を重ねて3人はジャズ奏者として恐らく最高到達点にいるのです。そんな3人をジャズの聖地で大勢の観客の前で演奏するというシーンに事故がなければすることが出来たのに、その演奏があるだけで満足な作品になったであろうと考えられるのに、一つの展開で映画の世界から醒めてしまいました。

まあそんなこと言ってもしょうがないので、なぜ雪折が事故に遭わなきゃいけない展開を作らないといけないのかを考えてみました。
1つめは作品の原作は漫画です、確かに月刊連載の漫画なら毎回展開を作らないと読者に飽きられてしまうでしょう、そう思うと仮に私が当時月刊誌で読んでいたら
ええ!事故!これからどうするの!
と次の展開に期待していたかもしれません。

2つめは雪折が事故に遭う前ソロパートの見せ場があり、そうなると大や俊二の見せ場も作らないといけない、そうするにはどうするかというと、思いつくのが雪折には一回演奏から外す、という選択になります。

雪折が事故に遭って、2人のステージになる……
ちょっとかわいそうじゃないですか!!?
例えば『SOBULE』で
大 「実は雪折には内緒で俊二と2人で曲を作ったんだ」
雪 「何故それを早く言わない、早く楽譜を見せろ」
俊 「いや……雪折には悪いが、俺と大だけで演奏する曲なんだ」
(ドラム用の楽譜を雪折に渡す俊二、楽譜を見た雪折は曲の完成度を見て
SOBULEで演奏しても恥ずかしくない曲だと判断する)
雪 「はあ……?フッ……まあいい、スベッたら承知しないからな」
と1曲だけ大と俊二だけで演奏をするステージをやらせればよくないですか?

つまり、雪折の今後のピアノ人生を遅らせてまでされる展開でしたか?
事故の展開が個人的には1個多いなと思いモヤモヤしながら大と俊二そして
片手で演奏する雪折のラストステージを見ていました。
というのが、映画の感想です。
しょうもない、二次創作まで見せて申し訳ありませんでした、以上。



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