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多様化するエンタメの行く先とは 朝井リョウ『スター』読書感想

星をあなたはどのように描きますか?
私はもちろん5つの突起をもつこのマーク『☆』です。
だけど、地球から見た星は米粒よりも小さいし、画像検索で宇宙に浮かんでいる実際の星をみると歪で『☆』なカタチはしていません。
それでも、星を描く時は大抵の人が『☆』を描くと思います『☆』=『星』と体に染みついているからです。
しかし、星のカタチを『☆』と描かず独自の解釈で星を描く人も多いと思います、それが多様性で、様々な価値観を持つ人たちがこの社会で共に生きています。
これは星を憧れの人を指した『スター』という言葉に置き換えて考えることが出来ます。昔はスターと言えばエンタメの最前線で活躍して、同じ人間とは思えないような非現実感さえ纏う圧倒的な存在感をもつごく一握りの人間で、受け手はそれが『スター』だと思っていました、しかし現代では様々なSNSや創作発信ツールの発達化により受け手の心に刺されば誰もが『スター』なることができます。

朝井リョウ『スター』の一部分をまとめるとそんな感じだと思います。
私は映画、本、アニメ、ドラマつまりエンタメが好きで、とてもテーマが興味深く、朝井リョウさんが描く個性豊かなキャラクターのエンタメに対する考え方が現れるセリフを自分もその場にいるかのように取り込んでいました。紹介は下記参照。

国民的スターって、今、いないよな。…… いや、もう、いらないのかも。
誰もが発信者となった今、プロとアマチュアの境界線は消えた。
新時代の「スター」は誰だ。

「どっちが先に有名監督になるか、勝負だな」
新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞した
立原尚吾と大土井紘。ふたりは大学卒業後、
名監督への弟子入りとYouTubeで

   朝日新聞出版朝井リョウ『スター』より 

〈多様化するスター〉
同じ映画サークルを出た映画監督を目指す2人の主人公、1人は「いい映画とはこういう物だ」と確立した考えがあり映画監督の補助の仕事について着実なデビューを目指す尚吾。もう1人は「いい映画については分からないから自分のやりたい道を進む」と新しい映画のカタチを目指すためにYouTubeを始める紘。
相反する価値観を持つ2人の主人公の物語は朝井リョウさん著の『ままならないから私とあなた』に似ている方式ですが『ままならないから~』は人生観の違いに対して『スター』はエンタメにテーマを絞った作品でした。

エンタメは前述で挙げたものだけではありません、テレビが生まれる前からあったラジオや雑誌、ここ数年で著しく発達を遂げた『YouTube』などの動画発信サービスやたった数十秒で表現する『TikTok』などのショートムービサービスなどが台頭してきています。そこで活躍している発信者、いわゆるインフルエンサーは数えきれないくらい存在しており、受け手側にはそれぞれに好みの発信者がいる状況となっています。
かくいうこの『note』というサービスも誰もが記事を書いて発信できるサービスで私もその中の1人の発信者ということになります。
私も『YouTube』は普段見ますが、私が好きなユーチューバーが皆見ていて好きかと言ったらそうではないと思います。
同時に、他人からおすすめのユーチューバーを勧められてもまったく刺さらないこともあるし、人から無理やり見せられた時は「うわあ、興味ねえ……はやく終わんねえかな」と思ってしまうことだってあります。
以前プロデューサーの秋元康さんが「スターとは、皆に語りたくなる存在」と話していました。この発言を『スター』を読んでいる際に思い出し、はっとさせられました。
スターが多様化するのはまずい事ではありません、スターが多様化するのにつれて受け手はより自分の価値観や求めているものにフィットした存在を探しているだけだと思います。

〈受け手が求めるもの〉
前述した通りそれぞれにスターがいる訳で、皆が思い描くスターが違ってきて、万人受けする国民的スターという人は現れにくい社会になっているのだと思います。それでも、受け手にとっては昔から意味は変わらず自分の憧れのスターという存在になります。
昔はスターと呼ばれる発信者1人あたり10万人のファンがいたとしたら今はたった1人に刺さっても、刺せることが出来たらスターと呼べるのです、人数は関係ありません。
自分が求めている者、見たいものを見せてくれる者、自分が必要な人間だと思わせてくれる者、それが真実か幻想かは関係なく、魅了させられた瞬間受け手は発信者をスターだと思い(もしくは思い込み)ます。
例えば最近では『○○横のドン』と呼ばれる人が淫行やわいせつなどで検挙されたとのニュースを見たことがあるでしょうか?
見ている人は大抵どうしてこんな奴に若いもんは付いて行くんだと思ったりすると思いますが、間違いなく『○○横のドン』には少なくともファンがいて、その人を求めるあまり、自分もそのスターの一部になりたいと付いて行っちゃうんだと思います。
発信者がどんな人でも、受け手が何を求めていても犯罪は犯罪ですが、きっとそういう心理的状況で生まれている事件だと思います。

〈推しの子におけるスター性について〉
もう一つスターの多様性がはっきりと分かるのが、赤坂アカ原作・横槍メンゴ作画で創作された大人気作品『推しの子』です。
主人公であるアクアとルビーは母親であるアイドル『星野アイ』に魅了されます。
主人公2人にとっては『星野アイ』は一番星の唯一無二の無敵のアイドルという描かれ方で、確かに主人公以外2人にも沢山のファンがいるスターですが昔のスターの考え方とは違うと思います。
アニメ1話のネタバレになりますがその『星野アイ』がファンに殺された際、世間でも話題になりましたがすぐに事件は忘れられ、また『星野アイ』が殺されたことに対していわれのない噂や誹謗中傷がSNSに溢れたという描かれ方でした。きっとそれは『星野アイ』は数多に存在する星の中の1つだったという世間的な認識で、アイドルであったアイ自身も誰もを魅了する最強のアイドルを目指しながら、真実の愛を探した1人の人間だと分かっていたという事だと思います。
ただ、ルビーとアクアにとっては『星野アイ』は何物にも代えられない『スター』で2人の視点で感情移入しながら物語が進むことによって楽しめるのでそういうところも面白い作品です。

〈受け手の選択肢と発信者の苦悩〉
エンタメが多様化したことは、受け手が様々な選択肢を得ることができて自分の人生を豊かにしてくれるのがエンタメだと思っている私にとっては幸福な事ではありますが弊害もあります、それは選択肢の多さです。
例えば休みの日に家にいる時どのエンタメを体験しようか考えるとします。トップダウンから考えると映画を観ようか、ドラマを見ようか、はたまたアニメか本かと悩みます。それで映画を観ようと決めると映画館に行くか、ネトフリにするかアマプラにするか悩みます。ネトフリにするとするとご存じの通り視聴可能な作品が多すぎてまた悩みます。
選択肢が多すぎてその悩んでいることに時間が費やされて疲弊します。まあこの辺は皆さんも考えたこともあると思いますが、この本で興味深かったのは受け手同様に発信者も疲弊していることでした。
どんなに人気が出ても、発信したプラットフォーム上のランキングに居座れる時間は体感では一瞬でまた次の作品が現れる。『スター』ではこれを打ち上げ花火と例えていたのが素晴らしかったです、どんなに特大花火を打ち上げていてもそれは1発に過ぎず受け手にとっては花火大会を彩る1つの花火に過ぎないという事です。
しかし、この時代の潮流は巻き戻ることはないと思います。これからも沢山のエンタメが登場しては流れていく、受け手側は自分に合いそうなものを掴み取ってはそれが流されないように、自分自身が溺れないようにしながら新しいのを掴み取っていくしかないと思います。
受け手側である私としては発信者が何か1つの以上の意志や考えを発信しているのだったら掴み取って無駄だったと思うようなことはないようにしたいです。そして、すべての発信者、それを受け取る受け手には様々な考えや求めるものがあるからこそ、今のエンタメが回っているのだと思います。
これからのエンタメについての考える上で自分の在り方を見出す羅針盤のような作品でした。



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