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こんばんは!

ひげ茶です。(ブログ名がやたら長いので、省略する。)


Noteを始めてから、14記事目になるわけだが、まだ私の自己紹介をしていなかったため、自身の振り返りも含め、自己紹介を行う。


自己紹介

現在インドに在住、渡印して2年目になる。

趣味は旅行と猫と一緒に寝ること。

渡印前は、東京でITエンジニアの派遣業務で、自動車メーカーや通信会社などで働いていた。

転機となったのは、コロナが到来し、大好きだった海外旅行に行けなくなってしまったことだ。

コロナ前は3・4か月に一回は一人で海外旅行に行っており、これが唯一の趣味だった。

海外ドラマを見たり、国内旅行をしたりしてもやはり何か違う。

そんな気持ちが日に日に膨らんでいき、ふと、海外に旅行が行けないなら、住んでしまえばいい、そんな気持ちでインドへの転職を決めた。


挫折

ではなぜインドなのかということで、少々話が長くなってしまうが、私の過去を紹介させてもらう。

私が18歳の時、人生最大級の挫折をする。

私の高校は、その地域ではある程度有名な高校だ。

高校2年生ぐらいまでは、そこそこ勉強できたいたのだが、3年にもなるとみんな本気で勉強をはじめ、一気にクラスでも最後のほうの成績になってしまった。

両親は自分たちが大学を出ずに苦労した経験から、私にはいい大学に行ってほしいといことで、勉強には熱心な家庭で、小学校から受験勉強をしてきた。

そんなこともあり、変なプライドが邪魔をし、志望校を下げられず、大学模試の判定はいつもDかEだったと思う。

受験前の夏ぐらいになるとすべての授業が終わり、生徒は自宅・塾で受験勉強をしてもよいことになり、自由登校となった。

ほとんどの生徒は塾に通っていたので、学校に行っても人がほとんどおらず、自宅に引きこもるようになる。

とは言っても、テキストを解いても全然わけがわからず、机に座って、2時間もすれば、スマホをいじっていた。

今思うと、数か月間、受験勉強と称し引きこもっていたので、鬱っぽくなっていたのだと思う。

とにかく考えが悪いほうばかりに行ってしまい、もう受験はする気がなくなってしまった。

そして、センター試験だけ受けて、結局、受験はどこも受けなかった。

当然家族はひどくがっかりし、父親とはまともに口を聞けなくなった。

これまで、幼稚園からずっと塾や高校などに数百万近く投資してきた結果、息子が大学受験をしなかったのだから、当然だ。

ただもう私のなかでは、受けても必ず落ちると分かっていたので、これ以上失敗をしたくなかった。


フィジー留学

そして、卒業式目前の3月、私はもう一年浪人することで、家族には一旦理解してもらい、浪人する気でいた。

ある夜中に母親が自分の部屋に来て、無言でPCのスクリーンを見せてきた。

それは、海外留学のエージェントの比較サイトで、フィジーとフィリピンのエージェントが載っていた。

「どっちか選びなさい」 母親が言った。

高校の修学旅行で東南アジアに行ったこともあり、フィリピンは知っていたが、フィジーは全く知らない。

元来、天邪鬼な性格の私は、知らない土地「フィジー」に惹かれ、フィジーを選択した。

そこから、4カ月間フィジー留学へ留学した。

フィジー留学の内容を書き始めると、話がだいぶ長くなるので、、また別途記事を設けたいと思う。

そこで、これまで自身が持っていた仕事=人生的な人生観が吹っ飛び、好きなことをして生きていたと考えるようになった。


海外で生活したい

帰国後は、独り立ちしたいと考え、新聞配達のアルバイトをはじめ、住み込みで働くようになる。

また、英語の勉強にも力を入れ、留学前は基本的な文法も理解できていなかったが、留学後はTOEIC700を取れるまでになった。

ここで目標が、海外で生活すること、になった。

英語のテキストがAppleの創業者Steve Jobsのスピーチ集を使っていたため、ITエンジニアになれば海外・アメリカに行けると考え、エンジニアの仕事を探し始める。

当時はIT企業が人が足らず、人不足解消のため、大量のエンジニア派遣会社が存在し、派遣会社への入社はすぐ決まった。

そこから通信インフラ・自動車メーカー・保険会社・通信会社などさまざまな常駐先を経験させてもらった。

そんな時、同僚の一人が、常駐案件でインドに3か月行くことになった。

どうしても海外に住んでみたかったので、会社にお願いをして、私も行かせてほしいと懇願した。

ただ、所属会社は、事業会社ではなく、案件にマッチした人材を派遣する、派遣会社であったため、願いは通らなかったが、そこから何となくインドを意識し始めた。


インドに転職

長いこと話したが、ここでようやく冒頭の海外転職とインドが繋がる。

インドはビジネスでは英語で話すと聞いていたし、アメリカに大量のインド人エンジニアがいるとのことだったので、インドで働ければその後、ヨーロッパやアメリカの就職だって夢じゃない、

そんな考えで転職活動を進め、2022年3月インドの日系企業のエンジニアポジションで採用された。


Noteを始めた理由

現在二年目になるが、インドでの生活はとても充実している。

仕事で任せてもらうことが増え、プライベートでも猫を飼ったり、旅行に行ったり、楽しい日々を過ごしている。

そんな機会をくれたインドには本当に感謝しており、もっとインドを知りたい、それがNoteを始めた理由だ。

幸いなことにこんなマニアックなチャンネルに、想像以上に多くの人が見てくれて、非常にうれしいことだ。

今後も現地インドでしか取れないようなまざまな情報を伝えていきたいと思う。

最近はどうすればもっと面白いコンテンツになるのか、ということを考えており、コンセプトはいろいろ修正するかもしれない。

ただ根底の、この広く多様なインドをもっと知りたい、皆さんに知らせたい、というのは変わらない。

何か知りたいこと、やってほしいことがあればコメントいただけると、コンテンツ作りの励みになるので、よろしくお願いします。


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