新聞の投書は素敵な発信源:中学生の投書から
昨日(7月12日)の朝日新聞に「ネットにはない投書の価値は」というタイトルで中学生の投書が載っていました。内容は「新聞の投書は本名や居住地などの個人情報が掲載されるが、自分の身をさらして新聞に投書するのは自分の意見を突き通したいという思いが込められているからだろう、一方、SNSは匿名にできるから誹謗中傷や憶測も多くなる。今の時代、大切な意見を発表する場は(実名での:筆者)投書しかない。投書の価値を見出した」というものでした。
私もときどき新聞に実名で投書しています。先の中学生が言うように多くの人に自分の意見を知ってもらいたいと思うからです。世の中の議論に一石を投じたいという気持ちもあります。実名での投書にためらいを感じることもありますが、自分の意見に責任を持つためにも実名は必要だと思います。その結果、思わぬ疑問を呈されたり、反論されたりすることもあります。でもそれが「健全な」議論だと思っています。
新聞の投書にはSNSに見られるような誹謗中傷や悪口、罵詈雑言はありません。SNSの世界は匿名が多いのでこうしたものが多く、憶測や曲解も少なくありません。目を覆いたくなるような汚い言葉で自分と異なる意見を封じ込めようとするものも多くあります。そんなものは見なければよいという人もいますが、自分が目をつぶることがそうした風潮を許すことになるのではないかという危惧もあります。
実名の場合と匿名の場合とでは投稿に対する向き合い方に違いがあると思います。私自身も匿名の場合は内容や言葉の使い方を吟味したりすることがおろそかになっている気がします。書いたものに対する責任という点でもどこか違います。だからと言ってすべて実名でと言うわけではありません。個人情報など匿名性が必要なこともあります。ただ、実名であっても匿名であっても自由に意見が言える社会からだんだん遠ざかっているのは事実ではないでしょうか。そんな中での中学生の素敵な投書でした。
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ヘッダーは朝日新聞朝刊(2024年7月12日)の紙面
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