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新聞の投書は素敵な発信源:中学生の投書から

昨日(7月12日)の朝日新聞に「ネットにはない投書の価値は」というタイトルで中学生の投書が載っていました。内容は「新聞の投書は本名や居住地などの個人情報が掲載されるが、自分の身をさらして新聞に投書するのは自分の意見を突き通したいという思いが込められているからだろう、一方、SNSは匿名にできるから誹謗中傷や憶測も多くなる。今の時代、大切な意見を発表する場は(実名での:筆者)投書しかない。投書の価値を見出した」というものでした。

中学生 (東京都 13)

 女子中学生が新聞に投書した紙面の画像がSNSに投稿されていた。「日本の運動会は戦いのようだ。以前住んでいたアメリカのようにゆるくやってもいい」というもの。多くの人が賛成、反対、様々に議論していたが「こんなことを言うなんて根暗で友達がいないだろう」と決めつける人もいた。私は行事には全力で取り組むことでチームワークが生まれると思っているから、正直言ってこの投書の意見には反対なのだが、それよりも大切なことに気づいた。

 私の中学校では投書が社会科の宿題となっている。私は投書などやりたくなかったが、この一件で投書をする価値が見いだせた。新聞の投書は本名、居住地など個人情報が掲載されるが、SNSはそれらを隠して意見を言える。その分、誹謗(ひぼう)中傷や臆測を叫ぶ人ばかりだ。自分の身をさらした上でこの意見を突き通したい。そんな思いが込められているからだろうか、投書には洗練された意見が多いように感じる。

 今時、大切な意見を大衆に発表できる場所は投書しかないだろう。私のような若者には手を伸ばしづらいと思った投書。よく考えてみれば、素敵な発信源であった。

朝日新聞デジタル版より

私もときどき新聞に実名で投書しています。先の中学生が言うように多くの人に自分の意見を知ってもらいたいと思うからです。世の中の議論に一石を投じたいという気持ちもあります。実名での投書にためらいを感じることもありますが、自分の意見に責任を持つためにも実名は必要だと思います。その結果、思わぬ疑問を呈されたり、反論されたりすることもあります。でもそれが「健全な」議論だと思っています。

新聞の投書にはSNSに見られるような誹謗中傷や悪口、罵詈雑言はありません。SNSの世界は匿名が多いのでこうしたものが多く、憶測や曲解も少なくありません。目を覆いたくなるような汚い言葉で自分と異なる意見を封じ込めようとするものも多くあります。そんなものは見なければよいという人もいますが、自分が目をつぶることがそうした風潮を許すことになるのではないかという危惧もあります。

実名の場合と匿名の場合とでは投稿に対する向き合い方に違いがあると思います。私自身も匿名の場合は内容や言葉の使い方を吟味したりすることがおろそかになっている気がします。書いたものに対する責任という点でもどこか違います。だからと言ってすべて実名でと言うわけではありません。個人情報など匿名性が必要なこともあります。ただ、実名であっても匿名であっても自由に意見が言える社会からだんだん遠ざかっているのは事実ではないでしょうか。そんな中での中学生の素敵な投書でした。

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ヘッダーは朝日新聞朝刊(2024年7月12日)の紙面

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