12 かつて南の島で起きたこと
6月23日。毎年この日は沖縄戦で亡くなった人たちに哀悼の意を捧げて一日をスタートさせています。教師だった時もそうでした。以下は1998年に学級通信で書いた文章です。
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珊瑚礁に囲まれた青い海、燦燦と降り注ぐ南国の太陽、一面に広がるサトウキビ畑… のどかで美しい沖縄の風景が目に浮かんできます。でも沖縄にあるのはそれだけではありません。
岩波書店が出版するブックレットの中に「チビチリガマの集団自決」という本があります。わずか50頁ほどですが圧倒的な重みを感じさせる本です。読み始めた私は最後まで一気に目を走らせました。読んでみたい人にはお貸ししますよ。
「チビチリガマ」というのは沖縄県の読谷村にある鍾乳洞です。沖縄はサンゴ礁が隆起してできた島で大きな洞窟がたくさんあります。この洞窟を沖縄の人たちは「ガマ」と呼んでいます。チビチリガマもそのひとつです。夏は涼しく、冬は暖かいところから、昔からガマは人々の憩いの場とされてきました。農作業を終えた人たちが集まって宴会を開いたり、子どもたちが遊んだりする場所でもあります。そんなガマがあの太平洋戦争のときは一転して地獄と化したのです。多くの人が自ら命を絶つ「集団自決」の場となりました。
敵から逃れてガマに避難していた村人たちは、目の前までやってきたアメリ兵の「殺さないから出てこい!」ということばを信じることができず、さらに「捕虜になるくらいなら死ね」という日本軍の教えに従い、最後の手段として自決(自殺)の道を選びました。と言うより選ばざるを得なかったというのが適切でしょう。自決の様子はここには記しませんが、想像を絶する恐ろしい光景であったことは、かろうじて生き残った人たちの証言からわかります。まさに地獄絵だったと言います。
チビチリガマのほかにも多くのガマで集団自決や住民虐殺が行われました、信じられないことですが、虐殺が味方であるはずの日本軍によって行われたことも少なくありませんでした。それによって亡くなった人の数は爆撃で死んだ人の数にも匹敵します。太平洋戦争では沖縄以外の日本でも多くの人が亡くなりました。広島や長崎では原爆でどれだけ多くの尊い命が失われたでしょう。みんなが住んでいる町も空襲を受けました。しかし、日本で唯一の地上戦の舞台となった沖縄では本土とは別の形で戦争の悲劇が繰り広げられていたのです。沖縄以外の人たちはそのことをよく知らずにいました。私もその一人でした。
暮れに私は沖縄に行ってきました。これまでにも何度か訪れていますが、今回は特に沖縄戦の戦跡を辿ってきました。自分があまりにも沖縄戦について知らないことを恥ずかしいと思ったからです。「学校で教えられなかったから」というのは言い訳になりません。知らないことを認識したからには自分で学ぶ必要があります。学ぶのはこれからでも遅くないと思っています。
米軍が上陸した読谷村からスタートし、日本軍が徐々に南へ撤退したその足跡を辿りながら、最後にあのひめゆり部隊の少女たち(みんなと同じ年頃の少年少女も戦争に巻き込まれました)が手榴弾で自決した荒崎海岸(沖縄本島最南端の海岸)まで行きました。海の水が血で真っ赤に染まったと言われる荒崎海岸に立ったときはことばが出ませんでした。あまりにも強烈な追体験だったからです。野戦病院の跡を訪れたときは戦争が本や映画の世界ではなく現実のものとして私の中に浸透してくるように感じました。
先述したチビチリガマは村の人に聞きながらやっとたどり着ける場所にありました。案内板も何もなく、畑の片隅に荒れ果てた状態、と言うより自決が行われた当時のままの状態で残されていました。ガマに足を踏み入れた時には、そこで亡くなった人たちの無念さが伝わってくるようで背筋が凍るような感覚におそわれました。(チビチリガマは遺族の方々の意向でその後は入れなくなっています)
沖縄戦の犠牲者は何十万人と言われていますが、大半が戦闘員ではなく一般住民でした。戦争で最も被害を受け犠牲となるのは何の罪もない一般の人たちであることを沖縄戦はいやと言うほど教えてくれます。平和な時代に生きている私たちですが、戦争は決して過去のものでもなく別の世界のものでもありません。現に、今も世界のあちこちで戦争が起きています。沖縄戦は遠い南の島の出来事と思うかもしれませんが、実はアメリカ軍はあのまま戦争が続いていたらその後は本土にも上陸する計画を立てていたことが明らかになっています。みんなの住む町も第二の沖縄になっていたかもしれません。市内にはこれに備えた防空壕がたくさん残っています。私たちが現在享受している平和は多くの人々の犠牲の上にあるのだと改めて感じます。
6月23日は「沖縄慰霊の日」です。犠牲となった多くの人たちの冥福を祈ります。
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