負の記憶もしっかり伝えていく
7月30日の朝日新聞に、アジア・太平洋戦争時に日本が連合国側の民間人を「敵国人」として強制収容していたという記事がありました。スパイ防止や「身元保護」の名目で外国人が全国各地の収容所に送られ、過酷な環境の中で死に至った人もいたと言います。記事には実際に収容されていたイタリアの作家ダーチャ・マライーニさん(87)が来日して自らの体験を語ったと書かれていました。
朝日新聞デジタルの記事↓
戦争捕虜や民間人収容の実態について調べている市民団体「POW研究会」によると、全国延べ約60カ所に米国、英国、カナダ、オランダなどの国籍を持つ約1200人が収容され、そのうち50人が死亡したそうです。
マライーニさんは父親が北海道帝国大学のアイヌ文化研究者だったため日本に暮らしていましたが、日本の同盟国だったイタリアが連合国に降伏すると生活が一変します。ドイツが連合国に対抗して樹立した傀儡政権への忠誠を両親が拒否したため「敵国人」とみなされ愛知の収容所に入れられます。そこでは官憲たちによる暴力が日常的に行われ、子どもたちにも腐ったミカンを与える、弱っていても棒で殴る、精神的に追い詰めるなど酷い仕打ちが行われていたと言います。「収容所は絶対的な力を生み出す巣窟であり、絶対的な力はサディスティックになる」とマラティーニさんは語っています。そして、現代の戦争に抗う唯一の手段が記憶であると考え自らの記憶を伝えようとしています。
私は「抑留所」のことを数年前に初めて知りました。アメリカの日系人強制収容所のことは知っていましたが、日本でも同じようなことが行われていたことはずっと知りませんでした。さらに自分の住むすぐ近くにも抑留施設があったことを知り、訪れました。そのことは以前記事に書いたことがありますのでご興味があればお読みください。
戦争については被害の歴史も加害の歴史もきちんと学び、しっかり伝えていかなければならないと強く思います。
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