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92 時の流れの中で

階段の踊り場にフリージアの鉢植えが置かれていました。階段を昇り降りするたびに甘い香りが漂ってきます。もうすぐ卒業式。生徒たちとの別れの日が来ます。そんな中で漂ってくる甘い匂いになぜか胸が締め付けられるような思いを感じました。

私はフリージアの匂いが好きです。春を感じさせる匂いです。そしてその匂いを嗅ぐたびに不思議な感覚におそわれます。うれしいような、さみしいような、切ないような感覚です。フリージアの匂いが香しいからだけでなく、その香りが私を過去にいざなってくれるからです。毎年春になるとこの香りに出会いながら生きてきました。そして毎年新たな経験を積み重ねながらこの香りに接してきました。その積み重ねが今の私を形づくっているのです。つまり現在の私には過去の私が凝縮されているのです。その過去の積み重ねがフリージアの香りをきっかけに階段を歩く私の中に蘇り、何とも言えない不思議な気持ちにさせるのです。

現在の私は過去の積み重ねの中にあるのだとよく感じます。プルーストの「マドレーヌ想起」ではありませんが、ちょっとしたことで過去の記憶が蘇ることがよくあります。10代前半の生徒たちは過去に思いを巡らせるということは少ないかもしれません。むしろ未来を見つめることの方が多いでしょう。当然だと思います。若いのですから。でもたとえ十数年しか生きていなくても現在の自分を作り上げているのは十数年間の過去です。時の流れは一本の線で表されることがありますが、それはあくまでも現実の時間の流れです。時計で示される時間です。

私はこの世界にはもうひとつのの「時」があるような気がします。心の中を流れる「意識の時間」です。人によってまちまちの感覚で、長さや流れる速さなどそれぞれ違います。驚くほど長い一日であったり、逆に一瞬のうちに過ぎ去ったり。出来事が時間軸にとらわれずバラバラであったり、時の流れが逆行したり、現在の中に過去や未来が入り込むことなどということもあります。

意識の中を駆け巡る時間は突然顔を覗かせます。音楽を聴いているとき過去の風景が浮かんでくる、町を歩いている時ふと幼い頃の体験が思い出される、みかんを口に入れたときいなかのおばあちゃんの家の掘りごたつが目に浮かぶなど。

今の自分を作り上げているのが過ぎ去った過去だとしたら。これからの自分を作り上げるのは現在と未来です。けれども現在は一瞬のうちに過去になり、未来もいずれ現在になり過去になります。そしてすべて自分の中に蓄積されていきます。だからこそ現在を大切に生きなければいけないと思います。ただ何となく生きているのでは自分の中に蓄積される時間は記憶にとどまることなく消えてしまうように感じるからです。

フリージアの香りがそんなことを考えさせてくれました。

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