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私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 13

8月24日(水)

ナポレオンの墓

授業のあとアンバリッドに行ってみた。日本語では廃兵院と訳されているが、かつて軍の病院だったところで現在は軍事博物館として建物の一部が一般公開されている。軍事コレクションの宝庫だ。
 
黄金のドームのある教会があり、教会の中央は吹き抜けになっており、地下には大理石でできたナポレオンの墓が置かれている。祭壇脇の階段を降りていくと墓のすぐ近くまで行けが、墓の立派さには圧倒された。

路上に駐車する車の怪

授業の帰りに道を歩いていたら後ろで「バリバリ!」という大きな音がした。振り返ると駐車していた車が前の車にぶつかりながら発進していたのだ。当の車はもちろん前の車も大きく破損していた。でも運転手は何事もなかった様子でそのまま走り去った。

街を歩くと道の両脇に駐車している車をたくさん目にする。たいてい縦列駐車だ。そして車と車の間隔がほとんどない。数センチくらいのことも珍しくない。どうやって出すのだろうとずっと不思議に思っていたが、まさか他車にぶつかりながら発車するとは!同じような場面はその後も何度か目にしたことがある。

はたしてこれが日常的なことなのか特別なことなのかはわからなかったが、これだけ車間のつまった縦列駐車が多いのを見ると珍しいことではないのかもしれない。そうだとしたらすごい街だ、パリって。

8月25日(木)

興味深い街を歩いた。「古き良き時代」の名残とガイドブックに書かれているサン・ドニ街だ。かねてより行ってみたいと思っていた。でも何をもって「古き良き時代」と言うのかがよく分からなかった。通りの両側にはセックス・ショップが並び多くの男性客が群がっていた。こうした街はどこの国にもある。でもこれだけ多く集まっていると異様な感じがする。

あまりよい気分ではなかったので横道に入ると、こんどは娼婦がずらっと立っている。髪を真っ赤に染め、身体を露出した女性たちが狭い戸口に並んで道行く男性に声をかけている。その数に驚いた。シャンゼリゼ付近の「高級」娼婦はお金と地位のある男性にしか声をかけないし、声をかけられた男性は光栄などという話を聞いたことがあるが、ここの娼婦には高級さはまったく感じられない。パリに来て娼婦にお金を使うのは日本人が多いというが、当時の日本人にはお金があったのだろう。今ではちょっと考えられない。

娼婦たちを見ていて思った。彼女たちはどんな気持ちで生きているのだろう。売春はお金を得るためにしかたなくやっているのだろうか。そうだとすればなんとも哀しい。身体を売る人間がいるのは買う人間がいるからだ。買う人間の中に日本人が多くいることをどう理解すればよいのだろう。複雑な気持ちになった。

8月26日(金) 

ソルボンヌの授業が終わった

ソルボンヌの授業が終了した。皆勤を目指していたわけではないが結果的に4週間休まず出席した。授業に出ることをルーティーンにした方が途中でだらけたりしないだろうと思ったからだ。フランス語の力はというとそれほど伸びたようには感じない。授業も文法中心で、日本で受けた大学の第二外国語の授業とさして変わらなかった。でも最後に受け取った成績表を見ると結果はまずまずだった。いったい何が評価されたのか不思議に思う。

修了証↓


Kさんの恋も終わった

ちなみに授業にはほとんど出なかったKさんには修了証が出なかった。そうだろうとは思う。でも彼女自身は修了証などほとんど問題にしていない。でも、その晩の彼女はすごく落ち込んでいた。修了証をもらえなかったからだとは思えないがいったいどうしたのだろう。聞いてみるとずっと行動を共にしていた大学生グループが明日日本に帰ってしまうからだと言う。特に教授と別れるのが寂しいらしい。「日本に帰ってからまた会えるじゃない」と私が言うと「もう会うことはないと思う」と言って彼女は涙を流した。いつも高らかな声で笑うKさんとは思えない。そしてKさんはポツリと言った。「恋は終わったの」と。
 
それを聞いて私は理解した。彼女は教授に恋をしていたのだ。彼女に直接聞いたわけではないが、それまでの言動から私にはそう思えた。そしてその恋をパリに置いて行こうとしている。日本に持ち帰らないところがKさんらしい。彼女のパリでのひと夏の恋は終わったのだ。私はKさんがすごくおとなに思えた。彼女は最高のルームメートだった。彼女とパリで過ごしたこの夏を私はずっと忘れないだろう。

記憶を頼りに描いたKさんの似顔絵↓

イラスト by Shiori Nonaka


8月27日(土) 

セーヌ川の遊覧船

最後の週末はセーヌ川の右岸、コンコルド広場からルーブル美術館に行き、芸術作品を鑑賞した。モナリザの前には人だかりができていた。モナリザは予想以上に小さい作品だった。人の頭越しに鑑賞した。


ルーブルのあとはバスティーユ広場まで歩き、フランス革命に思いを馳せた。
 
午後はセーヌ川の遊覧船「バトー・ムッシュー」に乗り、水の上からパリの街並みを楽しんだ。セーム川にかかる橋も芸術的で素晴らしかった。すべてが絵になると思った。

8月28日(日)

パリの最後の夜を祝おうとSさん、Kさんと3人でムフタール街のレストランに夕飯を食べに行った。雰囲気の良いお店だった。それほど高級なお店ではなく、地元の人たちがたくさん訪れていた。エスカルゴを初めて味わった。ガーリックとバターの味がしみ込んでいてとても美味しかった。外見はかたつむりだが、違和感なく味わえた。ムール貝も堪能した。
 
途中で花を売る若い女性が店に入って来た。籠いっぱいに花を詰め、テーブルを回りながら声をかけている。隣の若いカップルには「彼女にはこれがお似合いよ」と言い、高齢夫妻のところでは男性に向かって「奥さんのお好きな花は?」と聞く。私たちのところに来たときは「この花はあなたたちを待っていたのよ」と言った。相手を見ながらそれぞれに合う言葉を選ぶ花売りの女性にパリらしさを感じた。
 





 

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