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フリーランス(ター)になりました

フリーランス(ター)。フリーランスなのかフリーターなのか。
このフリーランス(ター)という社会的立場は、不安定ではあるけれど、コラージュ的に人との関わりをつくっていきやすい職種だと思っております。

おなじ関心がある人と断片的にでも交わりながら、おもしろく過ごしたい。その関わりしろとしてひとつ「仕事」があるのだったら使わない手はない。

過去の仕事・これからやりたい活動(仕事に限らず)を書きました。仕事を抱えておられる方、接点があれば一緒にお仕事できたら。頼む仕事は特にねえが、という方も「この領域、関心あるかも」とピンと来た方、一緒になにかをつくるお話ができるかも。なので気軽にお声かけもらえたら嬉しいです。

◉これまでーたぶん土をつくってた

1992年生まれ、現在31歳。出身は、大阪府(東大阪市)ですが、関西的な「ツッコミ・ボケ」の文化にはほぼ馴染まなかった記憶があります。中学のころから10年間バスケットボール部に所属しました。ほとんど試合に出ることはなかったのですが、”応援団(励ます係)”としてチームに貢献しました。

ハーフタイムの休憩中。レギュラーメンバーに風を送っています

ー 書いたり、支援したり、育てたり

大学は、出身地から離れ、奈良女子大学に行きました。学校の先生になりたいという職業的な目標があり、学生時代は教員課程を歩みましたが、途中「学校の先生になるにしても、まず社会のことを知りたい」と考え、方向転換。

ゆっくりと考える時間をつくるために、大学院に進学。1年間の休学中は、起業家の卵たちのコミュニティMAKERS UNIVERSITYに所属しつつ、株式会社LITALICOのオウンドメディア『発達ナビ』でSEOライティングをしておりました。

休学を経て、修了後はインターンをしていた株式会社LITALICOに出戻りという形で、社会人デビュー。「障害のない社会をつくる」という会社のビジョンに強くひかれ、以降3年半ほど勤めます。

会社では、事業部「児童発達支援部」に配属されました。発達障がいをもつお子さんとそのご家族、園・学校の先生の訪問支援といった現場のお仕事がメインでした。「ABA(応用行動分析)」という行動を変化させる心理学の手法を3年間実務を通して学びました。お子さんの困りごとが解決したり、解決までいかなくても過程を伴走しました。子どもたちが成長したり、親御さんが安心したりするようなサポートをしてきました。

後半は、エリアの教室を巡回しながら、新人社員さんの育成・研修担当をしました。貢献したいし、役に立てるのが嬉しく、150%のエネルギーで日々真面目に働きました。

踊ったり
筒を立てさせたり。対象は、子ども・保護者・先生〜社員まで

一部は教室長候補という役目で教室全体の管理をさせていただきました。また、「社内でかっこいい社員がいっぱいおる!」と感じて「これはみんなに知ってほしい…」という気持ちから、業務のかたわら、エリア内の社内広報「第5グループ通信」を立ち上げました。エリア内で活躍する社員にインタビューをして、記事を執筆していました。1社目では、支援現場・育成・マネージャー・広報など、たくさんの経験をさせていただきました。

ー ようやく「仕事とは?」を考える

その後、コロナ禍で心身の調子を崩すことに。休職はせずに、服薬とセルフケアをしつつ波が過ぎ去るのを待ったのですが、働き方を含めた「暮らし全体」を見直したいという気持ちがあり、退職を決意しました。調子を崩していたときにも、社内の方には一緒に対策を考えてもらい、今でも感謝しております。

2022年3月、鳥取県大山町に移りました。というのも、1社目の在職中に、鳥取県に住む先輩からお誘いをいただいていたのです。実は「地方」「移住」といったワードに対して関心はなかったのですが、当時の自分は環境をガラッと変えることを求めていたようです。とりあえず、それくらい行き詰まっていたし、物理的にも精神的にも吸いこむ空気を変えたかった。そんなふんわりとした理由から、マッチングしていただいた大山町に半年後に居を移しました。

風車と海と山が近い。あと人が近い。

また、時系列は前後しますが、退職してからの数ヶ月間、東京のメンズエステ店に勤めました。なぜ始めたかというと、シンプルに貯金を減らしたくなかったからです。仕事の内容は、1人のお客さんに対して(ちょっとエッチな)マッサージを提供すること。※書くか少し迷ったのですが、この3ヶ月間の経験が後に役に立ったので記しておきます。

メンズエステはお客は自分で掴むことが基本。一度フリー(指名なし)で来店したお客様にサービス気に入って頂き、次回指名で来店していただく。来店する理由をお話等から探ります。顧客のニーズを満たさなければもう来てもらえない。

「良かったらまた来る/良くなかったらもう来ない」と仕事の結果がシンプルなのがわかりやすかった。最終出勤から数えて3日間は指名のお客さんでフルだったのは、試してきたものの成果が出た瞬間で、おもしろく愉快な経験でした。

また、言葉だけではなくて、身体や非言語でコミュニケーションを取れたのもおもしろかったです。思考が緩慢で、あまり言葉が得意でなかったあのときの自分に、そういった仕事はマッチしていたのだろうと思います。

ーまちづくりっぽくないまちづくり

そのあと大山町に移り、集落支援員として1年間活動をしました。集落支援員とは「集落に特化したお助け隊」みたいなものです。ここでの仕事は、楽しくもあり、正直難解でした。大山町にある「名和地区」というエリアを担当する、地域自主組織なわのわのメンバーに加わらせてもらっての活動でした。

なぜ、難解なのかというと、アウトプットがさまざまで、それぞれの仕事で使う頭が違ってくるからです。同時並行で複数のタスクが進行しているときにも、今は、チームメンバーに合意をとる、主導権を明確にする、作業を手渡す、リサーチをするなど…のうち今はどれなのか。そういった状況を見て考える柔軟さが必要でした、とっても難しかったです。しかも、これはビジネススキルの基本な気がしています。(こういったことを知らずとも過ごせていた1社は、ある意味幸せでアホだったなと思います)

道路沿いで高校生にアイスコーヒーを配ったり

具体的な仕事内容としては、
・なわのわの活動を見える化する「なわのわ通信」での 進行とライティング
・小商いに取り組んでみる「なわのわっしょい!」での 企画・広報・出店者サポート
・地域の人が誰でも立ち寄れる「オープンデイ(日々の雑談)」など…

地域の内外が混ざっていき、気になっている活動に取り組めたり、おなじ関心を持つ人と交流する。そういった中で、数十年前から馴染みの知り合いを別の角度から知れたり、ちょっと困っていることを助けてもらえたりする。そういうことが起きやすい、場所の仕掛けをつくる仕事をしていました。こういったことは「まちづくり」「コミュニティマネージャー」といったジャンルになるかと思います。まだ未知な部分が多いので、まだまだやれることがありそう。

まとめると、これまで職業人生の5〜6年で「土をつくる」というのを職種を変えながらやってきたのではないか。書くこと、支援すること、地域のコミュニティをつくることどれも。書いた記事を読んで読者が新たな行動に移ることができたり、サポートを受けたのちに発想や行動が変化したり、コミュニティで起こった繋がりから新しい関係が生まれたり。

◉ これからー芽吹く瞬間も見たい

今後の活動の方向性を以下に述べます。「未就学児のお子さんのサポート業務」「記事執筆の業務」「ワークショップの設計」「俳優業」「舞台の企画・制作業務」の5つです。経験があるものも、あまりないものもありますが、巻き込んだり、巻き込まれたりしたいです。

1.  未就学児のお子さんのサポート / ご家族への関わりや環境づくりの提案

「言葉がゆっくりに思う」「叩いたり、蹴ったりする」「手先が不器用」などのご相談があれば、実際にお子さんの様子を観察&直接サポートをしたり、あるいはお家の中でできるサポートや環境づくりを一緒に考えます。訪問療育のマッチングサイト[meete]からご依頼をしていただく流れとなりますが「まずは話聞いてよ!」みたいなのも大歓迎です。学齢期以上は、それほど専門ではないのですが、学習面での伴走も行います。教科を教えるというよりは、学びやすい環境を一緒に考えたり、自分の学びの特性を確認しながら、より学びやすくなるためのお手伝いをします。

2.  インタビュー・書き起こし・リサーチ・執筆

活動の記録やまとめが欲しいという場合には、何かお役に立てることがあるかもしれません。記事に限らず、1枚のアートボードにまとめていったり、お話を文字に起こしていったり、まとめたり。卒論・修論でとりあえず一通りの流れをやってきているので、硬い文章のほうが得意かもしれません。平易な文章も書けるようにチャレンジ中です。ただ、とにかく書き起こしをただひたすらにやってきたせいで、「書き起こし」を苦とは思わないのは強みです。

3. ワークショップの設計/コーディネート(演劇 × 家族 / 教育 / 福祉 )

これは「スキルはいまいちだけど、熱はある」といった枠です。なので自主的に学び続けたいと思っています。また演劇で遊ぶことは、家族やチームなどのコミュニティ関係づくりといったことに非常に親和性が高い。例えば、感じる感情があると気づくこと(それを出すこと)、相手をしっかり観察すること、「私がしていること」「あなたから見えていること」のあいだのギャップをなくしていくこと…などは、誰かと一緒にいつづける上で大事なことです。福祉も教育も定義はともかく、その人同士が「らしくあれる」仕掛けをワークショップで作っていきたいです。

東京芸術劇場のアーツアカデミー研修生として、インクルーシブダンスワークショップを行う「東京のはら表現部」の事業に携わらせて頂きました。障害✖️アートの接点やその周辺について引き続き活動していく所存です。(2023年11月30日加筆)

4. 俳優業

これも「スキルはいまいちだけど(以下略)」です。お芝居の中でも稽古をしている中で、自分の生活を照らし合わせるなかでキャラクターをつくっていく過程や、自分が作品の中で「ただ伝えるための媒体」となることが面白いと感じています。相手からもその場からも影響をもらいつつ、いつでも新鮮であることを心がけて板に立っています。特に、おじいさん/変質者などで本領を発揮する傾向にあります。台本の文脈からセリフを読み解くことは、まだまだ練習中です。

5.企画・制作まわり

1年なわのわで働いてきてみて、どうやらアシスタント的なポジションが得意なようです。指揮をとるよりも、指揮をとるためのサポートや、情報が取り溢れてしまわないように掬うことなどは、お役に立てるかもしれません、この活路は今後見出していきたいです。

◉表現の家でやりたかったこと

 数年前、TOKYO STARTUP GATEWAYというスタートアップコンテストに「表現の家」 をつくりたいという事業案を出したことがありました。プランやお金にする方法を考える冷静さにかけ、結果ポシャったのですが、今ふりかえれば、「表現の家」で「その人っぽくいれそう!」みたいな可能性を遺憾なく放出してもらえる環境を作りたかったし、作りたいのだと思います。

未知のことに飛び込んでいくきっかけは「近くにあったから」「隣にいたから」ということが多いように思います。同じ関心を持つ人とネットワークを持つことやお話しする機会を持っていきたいので、是非お声かけくだされば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします。

◉後記

生活の地盤を鳥取に移して約1年が経った。地元の大阪・東京時代の友人、そして鳥取の方から「田中、いま何やってるの?」と聞かれる。結論から言うと、何をやっているのか私も分かりません。加えて、情けないことに今まで何をやってきたのかもイマイチ把握していません。歩いている道は地続きなはずなのですが、何が繋がってどうして今ここに立っているのか、ハッキリとさせたい。星座って、星を繋げて「あれはサソリに見えるね」「これは髪の毛だね」っていうじゃないですか。こういう感じで、活動を点で繋いだら地続きになっていて、うまいこと繋げば星座になればいいなと。この記事を書く理由はもうひとつ。2023年4月から「会社」「役場」というものに所属しない立場になりました。「会社」「役場」に所属していると、与えられた仕事が基本的にありますが、黙っていても仕事は降ってこない。お手伝いできることを明確にして、これからの仕事や活動につなげていきたく思っております。こういった2つのねらいから、これまでの活動の履歴を棚おろししました。何か伝わるものがあるといいなあ。

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