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「アレ」は思考を簡略化する(完 4.9)


どうも人垂です。最近は気温が高く「もう初夏か」などと諦めにも近い不満をこぼしています。

え?夏はまだ先?何を言っているんですか。
旧暦ではもう4月から夏ですよ(白目)

挨拶はさておき、今回はどうして「アレ」を使ってしまうのだろう、ということに関して考察していきたいと思います。


「アレ」とは何か、そう。皆さんご存じの「アレ」でございます。

はい、代名詞です。

これは個人差がある話題かも分かりませんが、私は会話の中でちょくちょく「アレ」や「ソレ」を用いてしまいます。代名詞を用いることは決して悪いことではないのですが、なんとなく使うのを控えている人もいるかもしれません。一方で代名詞ばっかり用いて会話をしているという人もいるでしょう。それではなぜこのような二極化が起こるのでしょうか。

話すことが苦手

代名詞を用いてしまうのにはいくつか理由があると思います。

  • 話すことが苦手

  • 話すのが遅い

  • 考えることが面倒くさい

  • 話題が曖昧 etc

私の場合は主に「話すことが苦手」「考えることが面倒くさい」が該当しています。「いや面倒なんかい」と思ったそこのあなた。後で理由を記すのでまだ読むのをやめないで。

さて、小見出しにもあったように私は話すことが苦手です。ただ「苦手」と一言にいっても人によって「苦手」という言葉に対する解釈の尺度は様々なので「どのように、なぜ苦手と思うか」を具体的に述べると

「友達や目上の人など他者と会話をすることには問題ないが、自分の口から発せられる言葉が自分の意図を表す際に、十分に適した表現であるかを考えてしまうため、普通の人よりも言葉を発するまでに少し時間をかける傾向にある。それゆえに喋る際の心理的ハードルが少し高めに生じることがあるから」です。

初回にも書いたように私の脳内には言葉や感情が常に渦巻いています。勿論誰しもが何かしらを考えてはいるでしょうが、私はそれよりも内容がネガティブになりやすく、且つ深くなりやすい傾向にあります。

また私は趣味で漢字の勉強(いわゆる難読漢字や漢字の成り立ちなど)を普通の大学生よりはしているので語彙も多少は豊かであると思っています。

まあその割には漢字検定で級を所得していませんが(期限切れのため)。

あとこれ書いているまさに今思ったことなんですが、キーボードで文字打つときに予測変換出てくるから私自身にいわゆる語彙力があることを示すことって難しいですよね。それに検索すれば色んな表現出てくるし、AIの添削機能ついてますし。あれ、これ詰みじゃね?

それはさりとて、このように私はなまじっか語彙があるので「この場面でこの言葉を使っていいのか」「この使い方、言い方で間違っていないか」と言葉を発する際に逡巡してしまいます。

例えば以前友達と会話している最中に「逡巡した」という表現を使ったところ、友達から「○○ってたまに難しい言葉使うよね~」と言われました。

友達の言い方からして褒めているようでしたが、私は「そんなことないよ」などと謙遜しながら心の中で「まじでそんなことないよ」と思っていました。

要するに「逡巡」という言葉は漢字を多少勉強している人間からしたら知っていて当然の言葉であり、この程度の言葉で「難しい言葉」判定をされても困るのです。

一応書いておくと人によってはこの記述は相手を馬鹿にしているように見えるかもしれませんが、そういうわけではなく心の底からこう思っているのです。

話を戻しましょう。このようなことがあるので私は自分の言葉の使い方だけでなく、「語彙の水準が相手にとって適切であるか」まで考慮しながら言葉を選ぶようにしています。そのため私は言葉選びに時間がかかってしまう頻度が高くなる傾向にあります。それゆえに話すことが「苦手」なのです。

そしてこれが「考えることが面倒くさい」という発想につながります。

勘のいい方なら予想がついているかもしれませんが、私は上記のように言葉のニュアンスや相手の語彙の水準まで意識していることが多いので往々にして考えながら話すことに疲れてしまうのです。

こうなると段々言葉選びが雑になっていきます。自分の思ったことを表現する際に適当な言葉を宛がったり、代名詞を用いたりするわけです。

ですが代名詞を用いることは悪いことではありません。題名にもあるように「思考を簡略化」することができるのです。

「思考の簡略化」と「靄」

「思考の簡略化」とは何か。それは自分の思ったことを一旦適当な言葉で代替させ、次の思考へと移ることを指します。

それではそもそも思考の源は何でしょうか。それは「靄(もや)」です。
言葉ではないのか?そう思った方もいるでしょう。ですが私は言葉は根本的なものではないと考えます。

というのも私にとって「言葉」とは「靄」を言語化するためのツールであるからです。常に私たちは心の中で何かを考えるとき瞬間的に言語化をしています。そのため自分の中に疑問が生じるときや何か伝えたいことが生じたときも常に言語化されていることがほとんどです。

しかし、「筆舌に尽くしがたい」という表現もあるように中には言語化することが難しいことがらも少なくありません。例えば芸術作品を見たときの感覚やどうしようもなく悲しい経験をしたときなど、なんとも言い難い「何か」が頭の中に生じたことがあると思います。それを私は「靄」と呼んでいます。

そしてこの「靄」は往々にして認識されません。先に述べたように私たちは一瞬にして言語化をしてしまうのでこの「靄」を認識する機会が少ないのです。そのためこの「靄」を認識する頻度が低い人は会話を苦手としません。

ですが、この「靄」を認識する頻度が高い人(あるいは私にとっての「靄」を別の言葉で表現している人)はしばしば言葉選びに苦労します。なぜなら言葉が内包する意味の幅が狭いからです。

「意味の幅が狭い」というのは要するに、その言葉だけでは十分に言い表せないということです。例えば「りんご」という言葉を見たら


りんご

を思い浮かべますよね。勿論人によってはりんごちゃん(女性の見た目で武田鉄矢の声真似する人)、こりん星からやってきたりんごももか姫やシンプルにアップル社を思い浮かべた人もいるでしょう。ですが一般的には上の画像に見られるようなりんごを想像した人が大多数だと思います。

つまり一つの言葉から即時に連想される事物が大抵1つや2つしかない訳です。そうなると自分の「靄」を言葉で表現しようとすると相手に正しくその「靄」を伝えることが難しくなります。なぜなら「靄」はとても曖昧で、自分の中に潜む思考の根源であるから。

それゆえに言語化してしまうと陳腐なものになってしまう。自分の愛する存在を失ってしまったときを思い出して「悲しい」としか言えないことと同じように。

自分の中にどんなに惨憺たる思いがあろうと、悲壮で暗澹たる衝動が巻き起こっていようと、その衝動=「靄」を言語化してしまうと一気に自分の思考が他者に十分に伝えられなくなる。

これが私にとって言語化することの難しさとなっています。

ところが、このような難しさを忘れさせてくれるものが存在します。そう、代名詞です。

「アレ」の有能さ

「アイツってほんと...アレだよなー!」
「分かるー笑天然だよねー」

「あの子ってほんと...アレだよね、ちょっと鋭い、っていうか敏感だよね」
「あー、分かる。私もこの前さぁ〜」

2つの会話を見てなにを思いましたか?
「友達をアイツ呼ばわりなんて最低」?違う違うそうじゃない。

上の会話で用いられた「アレ」はそれぞれ異なる役割を果たしています。

上の文章では「誘導」、下の文章では「時間稼ぎ」を担っています。

「アレ」による「誘導」

「アレ」を用いることで相手に察してもらうことを目的としています。その場でパッと適切な表現が出てこないが会話の流れを途切れさせないために「アレ」を使っています。

ですがこの「アレ」によって相手は話し手が何を表現しようとしていたのか(書かれてはいませんが)それ以前の会話の文脈も含めて判断します。そしてその結果「天然」という言葉が相手の口から出てきた訳です。つまりこの会話において話し手は自分の表現力だけでなく、相手の表現力も携えていることになります。

このように相手の表現力もあてにすることでスムーズに会話を進めることが可能になります。

「アレ」による「時間稼ぎ」

「アレ」を使うことでその場を凌ぎつつ、表現を形成する時間を稼ぐことを目的としています。こちらも瞬間的に言葉が出てこないため「アレ」を用いています。

しかし先ほどと異なるのとは相手の表現力に頼らず自分の表現力だけで言葉を紡ごうとしている点です。

会話の中で「アレ」を使った後に「鋭い、っていうか」、「敏感だよね」と言葉が変遷しています。

これは「靄」が生じた時点で一旦言語化を諦めて「アレ」を用いて会話を続ける中で、その「靄」を言語化しようと頭の中で試行錯誤をしているため起こったのです。

このように一旦代名詞を使って言葉を仮置きすることであとで表現を補うことが可能になります。英語で言う仮主語みたいなものですね。

各々のメリットとデメリット

既に述べたように「アレ」を用いることはその場での言語化をスキップする代わりに会話をスムーズにするという効果があります。

しかし、それに伴ってデメリット(に近いもの)もあります。

まず「誘導」のデメリットは表現力の低下ににつながります。如何せん相手の表現力に依存して自分の「靄」を表現する方法なので自分自身でその「靄」を表現する機会が減ります。それは結果的に言語化能力の衰退につながりかねません。そのため相手との会話の際は依存のしすぎには気を付けなければいけません。また、相手の表現力に依存しすぎると相手に勘付かれてしまう可能性もあるので節度を保って使った方がいいでしょう。

次に「時間稼ぎ」のデメリットは瞬発力が低下することです。「靄」をすぐに表現しようとせずに「アレ」で代用してしまうので必然的にその場その場での表現力は落ちてしまいます。ですが「誘導」に比べたら自分の頭を使って表現を試みているので表現力の低下にはつながりにくいです。

代名詞を使わない人って?

正直あまりいないのではないかとも思うのですが、これまで書いてきた特徴に当てはまらない人がこれに該当するのではないでしょうか。

つまり「表現力がある」「深く考えすぎない」など思考が比較的浅く、言葉を口にすることにあまり苦労を覚えない類の人です。

思考が浅いというのはつまりは自分の「靄」を深く追求しないということです。

言ってしまえば「靄」の追求は自分との戦いです。自分の伝えたい事を言葉で表現するときにどの表現で妥協をするか(所詮どんなに悩んでも受け取り側の言葉のフィルターを通して言葉は理解されるため、考えすぎても仕方ないとの妥協)。それを探す作業が長いほど「思考が深く」短いほど「思考が浅い」ということになります。そのためこの文脈においては思考が深いか浅いかに善悪はありません。

まとめ

代名詞を使うことのメリット・デメリットについて考察してきましたがいかがだったでしょうか。

今まであまり自分の話し方に意識を向けてこなかった人も多いと思います。
この記事を通して少しでも自分の話し方のクセや感じていた違和感への気づきに繋がれば幸いです。

また何か気づいたことがあったら追記します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。





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