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3姉妹の母より4姉妹の長女

嬉しい言葉をもらった

「ひがしさんは、母親の役割も以外にも3姉妹のお姉さん的な存在のイメージをもった」との言葉をもらった。

4姉妹の長女。

どうやら、私には3姉妹の母親という言葉よりこちらの方がしっくりくるなと思った。

私は子どもたちの母親だからという言葉にずっと違和感があった。

それは、自分が思う母親に自分がなれないから。
私が思う母親像は、こどものペースに合わせられて、どんなことがあっても感情的にならない。こどものことを愛おしいと思えるお母さん。

そんなお母さん

母親になったら、勝手にそんなお母さんになれるんだと思っていた。
でも、現実は自分の感情を上手くコントロールできず、ペースを崩されるとイライラしてしまったり、口が達者なこどもたちに腹が立つことがある未熟な人間。

母親になったら、なんなく出来ると思っていた、苦手な排泄サポートも相変わらず嫌いで、長女にお小遣いをあげて三女の💩のおむつ替えやってもらったこともある。
母親になっても自分は自分のままだった。

これって、年を重ねれば重ねるほど、自分が思っていた大人になれない感覚と似ている。

自分を変える事は出来るけど、向いている事とか向いていない事は変わらないのだということ。

そして、私は、何においても「楽しむこと」を大切にしている。
こどもたちが楽しいのはもちろんだけど、そこに自分の気持ちがついていかないと、やってあげているなどの義務になってしまう。義務になるとgive&takeの関係になり私はこんなにやってるのにっという思いが爆発してしまうことがあるから。

だから、私は自分に余裕をもつことは大切だと思う。

そんなところも含めて、私は母親としてサポートするいう感じより、姉として一緒に楽しむ感覚の方がしっくりくるなと思った。

私はこどもたちよりちょっと早く産れて先に人生を歩いているただひとりの人に過ぎない。

何が正しいかだって自分の基準でしかわからないし、それが本当に正解なのかもわからない。

だから、こどもたちには楽しいやワクワクする感覚を大切にしてほしいなと思う。

1人だと怖いなら一緒にやろう、やってみよう。きっかけを作りたいなと思う。

そんな自分の考えを言語化してもらったことで、自分がどうしていきたいか、何を大切にしているか気づかせてもらった。

退職して、家族以外の人と話すことは間違いなく減ったし、一人でぐるぐる考えていても嫌になってしまうタイプなので、

言語化が苦手だからこそ、人と話をする時間を大切にしたいなと思いました。


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