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不意に、昨日思ったこと。

子供二人は私と過ごす時間が長いこともあり、いつでも私に話しかけてくる。

他人に対してはどうやらそうではないらしいので、母親というものはただ産んだだけだというのに無条件に愛されているものだと思う。

それぞれが好き勝手に話すからケンカになることもあるし、正直、話に付き合うのは面倒くさいことだって多々ある。

「話す」ってエネルギーを使うもの。

口を動かすエネルギーのみならず、どう反応するか、どう対応するか・・・を瞬時に判断するために脳みそも使っているからだろう。

まだ大人と対等に会話ができない年齢の子供に対しては特にそうである。

正直、会社に出社する方が楽だと感じることも。私の仕事は四六時中会話を必要とするわけではないので。

平日の夕方以降と土日と。

家で子供の相手(会話)だけしていればいいなら楽かもしれないが、更にほとんどの家事をこなす必要があるのだ。なんなら会話だけでなく遊びまで求められる。

時々、「誰か代わってよ」と思うけれど、きっとこんなに家事と育児に必死のは今だけだろう。

昨日、不意に思ったのは、独身時代のこと。

時間だけはあったし、すべての時間を自分の思い通りに使えた。

仕事による拘束時間はあれど、それもストレスフルというほどではなかった。ありがたいことに。

膨大な時間をどうつぶすか。むしろそれが課題であった。

私は「遊ぶ」のが下手だった。

誰か知っている人がいないと何かを始める、思い切ることがなかなかできなかったし。

思い切って始めたことが、ジムである。

この「はじめの一歩」の小ささよ…ま、それは置いといて。

紛れもなく「一人の時間がありすぎる」という状況に私はストレスを感じていた。

そのころのことを昨日、ブワーーーーーっと思い出したのだ。急に。

あの日の自分が今の自分を見たらびっくりするだろう。

こんなにおしゃべりな子供がいて、会話を求められ続ける自分。誰が想像できただろう。

今は家族、完全な味方が私にいることが当然の日々である。

むしろその味方に甘えて傲慢に振舞ってさえいるだろう。

だけどあの一人でいるストレスに比べたら、今は幸せなことなのかもしれないと思う。

今の私のあこがれは、仕事が終わってから、ちょっといいジャケットを着て、雰囲気が良いお店にフラっと一人で飲みに行くこと。

いいでしょ、そんなの。

ここからの人生はそんな自分になりたい。

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