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外からのあらゆる影響は僕そのものにはなり得ない、はず

 日々、僕たちは色々なものを目にして、耳にして、口にして、様々な影響を受けていると思います。
 それは、アニメからだったり、小説からだったり、漫画からだったり、音楽からだったり本当に色々です。
 勿論、創作だけじゃありません、動画配信サイトの1コメントかもしれませんし、評論文だったりするかもしれません。
 
 色んな影響を受けますけど、その中でも特に感動や感銘を受けるものってあるじゃないですか。そういう時って自分の世界観や価値観が変わってしまう時ってありますよね。

 そういう時、僕なんか、そういった経験がまだ少ないからかもしれませんが自分が塗り替わっていくような感覚になるんですね。
これを信じて生きて行こうみたいな、そういう感覚になって、その影響を与えてきたものと自分との境が曖昧になっていくというか、影響と自分が曖昧になっていく気がするんです。でも、そういうのも自然と最終的には自分という存在になっていって、影響は影響でしかなく僕そのものになることはないんだなと思います。

 そういう時、僕はやっぱり自分の根幹というかいつの間にか積みあがっていた土台を感じます。
 影響は自分そのものではない、当たり前のことのように思いますけど、大事だと思いますよ?
影響を与えてきたのが人だとしたら、その人の価値観がそのまんまあなたの価値観になることは無いはずだってことですから。
依存しないってことでもあると思います。

 影響が自分そのものにならないのと、関連して。影響というのは、とても形の変わりやすいものだという話もしたいと思います。
影響を与えてきたもの、仮にここは、僕の記事とでもしておきますか。
この記事を書いたとき、僕にはそれなりに伝えたい意図とか、記事に表れる僕の価値観とかがあると思います。でも、そういったものってそのまんま伝わったりはしませんよね?
 あなたの解釈が加わって新たな意味となる。
創作は、作者と読者の共同作業なんです。
ということで、今後もどうかよろしくお願いします!


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