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ナチスの地を巡る旅


大学4年生の時に、ドイツ・ポーランドへ行った。
周りの友人がハワイだとかフランスだとかキラキラした卒業旅行先を選んでいる中、ポーランドに行きたい人が全くおらず、結局ひとりで行くことになった。
最初はホームシックになるかなと思っていたが、案外ひとりで行く海外旅行は自分のことを誰も知らない世界に来たのが新鮮で案外おもしろかった。



なぜドイツ・ポーランドへ行きたかったのかというと、昔からナチスの政治やホロコーストに興味があったから。
中学の頃に見た「映像の世紀」に衝撃を受けた。
信じられない凄惨な映像。地獄のような歴史。
どうしてこんなことが起こってしまったのかという、純粋な興味だった。

大学では政治学を専攻していたので、ある程度ナチスの政策やホロコーストへ至るまでを学んだ。
齧った程度だが、学んだ者としてはとにかく現地を訪れたかった。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(被害者側)と、帝国党大会会場文書センター(加害者側)をこの目で見たかった。
バイトで貯めていたお金だけでは足りず、親に頭を下げお金をなんとか出してもらい行けることになった。女ひとりの旅行も止めずに、勉強のためならとお金を出してくれた親にはとても感謝している。



まずはアウシュビッツ ・ビルケナウ強制収容所に足を運んだ。ポーランドのクラクフという街からバスで移動するのだが、そこまでの道のりは長くて、殺風景な道と暗い森を進む。すると突然広大な土地が広がって、あの強制収容所が存在していた。

教科書で何度も見た門をくぐり、中へ入ると団地のような感じだった。ただ、行く先々で有刺鉄線が張られていたり、絞首台があったり、おぞましさを感じた。
展示室にはユダヤ人の方々から押収したカバンや靴、メガネなどがただ山積みに重なっていた。ズラっと壁一面に収容者の方々の写真(遺影)が並んでいたりもした。ナチス兵に殴られて顔を歪ませた女の子の写真もあった。
展示室はまるで時が止まっているかのようだった。きっとこの先も、この場所だけは未来へと進んでいくことはできないんだと思い、何とも言えない感情になった。

山積みにされたユダヤ人の方々の靴
押収されたカバンには名前などが書かれている


有名なガス室は、ただの地下室のようだったがところどころに毒ガスを注入するための穴が開いていた。
わたしの目の前にはもう誰も苦しんでいる人はいないはずなのに、どこからか悲鳴が聞こえてくるような気がして、頭が真っ白になった。

銃殺される時に使われる壁のところには、小さな献花が添えられており、皆が平和への祈りを捧げていた。
なんだかその光景を見た時、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。
悲しいし、苦しいし、でも二度とこのような惨事を繰り返さないためにこの施設が残されていること、様々な感情からくる涙だったと思う。

わたしだけでなく皆が立ち尽くしていた



次にドイツのニュルンベルクに移動し、帝国党大会会場文書センターへ行った。
ナチスの支配とその原因を辿る博物館になっており、博物館を含む建物はヒトラーがプロパガンダ目的でナチ党の党大会を行っていた場所でもある。
展示室へ入ると、当時のナチ党がノリに乗りまくっていた時代の写真がたくさん飾られていた。
美女たちが我先にといったような感じでヒトラーへ歩み寄る写真だったり、ドイツ軍の行進を人々が熱狂しながら見ている写真だったり。
一瞬だけの栄光がたくさん切り取られていた。
ナチス政権が悪いのは当然のことだが、プロパガンダに乗っかってしまい、いけいけドンドンだったドイツ国民も相当良くなかったんだなと思う。
戦争や度の過ぎたナショナリズムは無知な民衆の感覚を麻痺させてしまうのだろう。

実際にヒトラーが演説を行なったとされる場所にも立つことができた。
とにかく大きな広場で、ここが軍人や民衆で埋め尽くされ、当時のヒーロー的存在が演説をするのだと思うとそれはもう信じられない熱気だっただろう。
でも今その場所に広がるのは静寂だけ。
虚しい感情でいっぱいになった。

当時はヒーローだったんだろうなあ
ここが超満員になったというからすごい



この博物館のすごさは当時のナチ党の行いや当時の国民たちがどれだけ熱狂的に支持していたかを包み隠すことなく堂々と伝えていること。
自国の良くなかった歴史を、後世に残そうとしている。
日本も第二次世界大戦に参加していたけれど、割と空襲に遭っただとか原爆を落とされただとか被害者意識がものすごく強いと思う。
もちろん罪のない多くの人々が戦争の被害に遭ったのだから、戦争を経験した人や軍人として戦わざるを得なかった人が被害者意識を持つのは当然のこと。それに関しては、理解できないほどの苦しみがあると思う。
しかしながら、日本が戦争に加担していたのは確かなのに当時の日本の軍国主義に関してメディアで触れられることや学校で習うことがあまりないと思う。
日本軍だってたくさんの罪のない人たちの命を奪ったはずだ。
それを日本は忘れてはいけないはずなのに、今の日本はまるで加害者ではございませんといったようなスタンスでいるような気がする。
憲法9条があれば、もういいの?と考えさせられた。
そこの違いを大きく感じるスポットだった。



終戦から78年が経とうとしている。
平和ボケをしているわたしには、戦争の苦しみや悲惨さはわからない。
施設を巡って学んだからこそ、実際に経験しないことには絶対にわからないことであると思った。
ただ、この旅はすごく有意義なものであったと思う。
死ぬまで忘れることのない景色をたくさん目に焼き付けることができた。
浅い言葉だが、人の命を奪い合っても何も生まれない。とにかく平和で穏やかな未来が続くことを祈るばかりである。


最後に。
アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所から出ようとしていた時、通り雨が降った。
その後に綺麗な虹がかかったのだ。
この地域では、特に記念式典などの際にはよく虹が出るということを教えてもらった。
なんだか偶然ではないような気がした。
強制収容所で命を落とした方々が、平和を願っているような気がして。
どんな未来がわたしに待ち受けようとも、戦争に加担してはいけないと強く胸に刻んだ。


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