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【起立性調節障害】中高一貫校生から通信制高校生になった①

こんにちは。私はみずほ、と言います。
通信制高校に通う、高校1年生です。

題名にある通り、私は中学受験で入学した学校(女子校)を、高校1年の10月で退学・転校し、通信制高校の生徒となりました。
その理由の1つとして起立性調節障害が含まれますが、私の場合、メインの理由が起立性調節障害であるわけではありませんでした。

そして、私がこのnoteの記事で伝えたいことは
・通信制高校という選択肢もある
・学校以外でも、挑戦できる場所がある
・一度、自分の周りの環境を見直してみよう
ということです


中学受験生の私

私は上記の通り、つい最近まで中高一貫女子校に通っていました。
そんな私は、小学校は地元の公立へ通い、中学受験をしています。

まあ、今と比べれば純粋で、まっすぐでした。勉強大好き人間でした。
そして、当時小学校でも、児童会のような役割を持つ委員会の委員長を務め、中学受験生と委員会の委員長の二足の草鞋を履いていました(?)
運動会では言葉を述べたり、常日ごろ「学校のために、、」を考えている子供でした。

そんな私は、都内の第一志望校に向けて、毎日勉強の日々になるも、、
残念ながら不合格、第二志望校へ入学しました。
一般的に、第一志望に落ちてしまうということは、精神的にも辛いことですし、人によっては、入学した先の学校で不登校となってしまうパターンもあるそうです。
ですが、「受験する学校はすべて第一志望」と考えるようにし、その方針のもと、学校見学に行ったり、志望校を決めていました。そのため、悔しい気持ちはあったものの、好きな学校に通えるんだ!と思うと、ワクワクしていました。

中学入学、中学1年

晴れて中学校に入学、、
とは行かず、皆さま知っての通り、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言、私たちはオンラインで入学式、授業を受けることになりました。
確かに、同級生と話すことができないのは悲しいものの、ここでも、私の「勉強大好き人間」の様子は見られました。(自分で言うのなんかいやだな、、)
そのおかげか、1年生の時の成績は比較的良いものでした。

ですが、少しずつ勉強の速度は速くなり、難しくなっていき、、という感じで、右肩下がりとなっていきました、、、

中学2年

小学校で委員会の委員長をしていた私は、流れで生徒会に興味を持つようになります。
そして、気づけば立候補し、3人の枠に7人の立候補の中選挙で当選しました。
内申点があるわけでもないのに、こんな立候補する人がいるんだ、、この学校の人たちってやっぱりすごいんだな、、と当時は思っていました。

ここまでは、この話のとても長い”入口”、と捉えていただいて良いでしょう。ここからが本番です。

生徒会として当選した私は、担当の先生たちに召集されます。
その時にやってきたのは、いわゆる”生徒指導”の先生です。(A先生と呼びます。)

皆さんは生徒会選挙と聞いて、どのようなことをイメージするでしょうか。
「○○の校則を変えます!」「△△を作ります、設置します!」このような感じではないでしょうか。
上記と同じように、演説をした方がいました。(私は、校則についても考えていましたが、他の事を演説しました。)

それに対してA先生は何をしたでしょう。
そう、怒ったのです。
「生徒が校則を変えることはできません。」「生徒会の仕事は、生徒から来た要望・意見を、先生方につなぐ、ということです。」
A先生は言いました。

「えっ、、、」
私はそう思いました。

何が退学と関わるのか、、と思われるでしょうが、このような出来事が、今後、私が高1、退学を決断する時へと繋がっていきます。

違和感を覚えつつも、私は晴れて生徒会の一員として、低学年はほぼ雑用に近かったものの、活動をするようになります。
ですが、それと同時に、勉強も忙しくなり、生徒会も相まって、自分の活動時間は増えていきました。そして、私はどうなっていくか、、というと、、、
睡眠時間を削って、宿題、生徒会活動、部活、、という日々を送ることになります。徹夜も数回しましたし、連日1,2時間睡眠という日もありました。

そして、徐々に体調を悪くしてしまいました。
3学期には、さすがに病院へ行くこととなり、「起立性調節障害」「過敏性腸症候群」を診断されます。そして、病院と整骨院へ通う日々となりました。

※なぜ整骨院?と思われた方へ。
整骨院は、東洋医学の領域です。
自律神経を整えるために、体の歪みを治すことがあります。ほかにも私には詳しいことは分からないですが、自律神経失調症などの治療に繋がる施術があるそうです。偶然にも、自律神経関係に詳しい整骨院の方がいらっしゃると検索して分かり、通う事となります。
ご興味のある方は調べてみてください。

そして、次年度(中学3年)の生徒会選挙の時期が来るも、体調の影響で断念せざるを得ない状況となりました。

つづく、、、

次回、②の記事では、実際に起立性調節障害の状態で1年過ごした中学3年、生徒会に復帰することとなったほか、挑戦の年となった高校1年について紹介させていただきます。

挑戦の年とは書いてありますが、本当に学校を辞めています
ただ、色んな環境に飛び込む、そんな1年です。

おわりに

私が退学・転校をしたときに関して、すべてを語るには、ここまでの話はほぼ「プロローグ」と考えていただいても構わないと思います。
もちろん、起立性調節障害になったことは大きいことでした。今の私の人生にも直結しています。病気の経験を通して、私はある夢も抱きました。

また、通信制高校への転入についてなど、ご相談がありましたら、X(旧Twitter)にてご相談を承ります。
アカウント:@mii__jko517

第一弾は以上です。ありがとうございました。


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