街の縮小ととも減り続ける太鼓の需要
大正2年より続く 新川靴太鼓店
気仙地区の人々の間では踊り、民謡、太鼓なと様々な文化が古くから根付いている。陸前高田では10月の第三日曜日に全国太鼓フェスティバルが開かれるようになり日本三大太鼓といわれる「御陣乗太鼓」「御諏訪太鼓」「助六太鼓」がすでに出演し、日本一の太鼓フェスティバルとも呼ばれている。それほど太鼓の文化が地域に根付いている地域だ。
今回はその気仙地区で数少ない太鼓職人を訪ね新川靴太鼓店にきた。
今回もご本人の希望で顔出しはしないのでご了承いただきたい。
気仙地区に残された最後の職人新川氏
私:こんにちは。太鼓を作ってどのくらいになりますか?
新川氏:私で4代目です。もうずっと家業として続いてきてます。最初は陸前高田で始まって、
今はここ大船渡に移ってきてずっと太鼓をつくっています。
私:このエリア。気仙沼も陸前高田も大船渡もお祭りが近くなると色々な地域団体が太鼓の練習を小学校の体育館を使ってやっているのをみていて。本当に太鼓が盛んなエリアですよね。
新川氏:そうですね。太鼓は小学校から習うので文化ですよね。きっと。運動会前に白、赤とも毎回張り替えて納めたり。昔は。
私:昔は?
新川氏:今も使ってはいるけど。作ったり張り直したりはしなくなったな。
私:あ。そんなんですね。この街や陸前高田には他に何人くらい職人さんがいらっしゃるんですか?
新川氏:いない。
私:え? いない? 新川さんだけ?
新川氏:そう。
私:こんなに大人から子供まて太鼓を叩いてお祭りまで練習しているエリアなのに?
新川氏:そう。私だけ。
新川氏はそう答えると、にやり。と複雑な表情を見せた。私も気仙沼にきて6年。様々な体育館で週末多くの人達が集まって太鼓の練習をしていたり、お祭りで太鼓の大演奏を聞いたりと太鼓は本当にこのエリアに根付いていることは確信していた。なのに・・・
新川氏の太鼓作りは面作りの技術
私:太鼓をつくる時はどこからをつくるんですか?
新川氏:私は面の張りがメイン。木包は問屋から買っているので
私:なるほど。木包の部分は難しい?ということ。
新川氏:つくり始めてから完成するまでに何年もかかるので、規模が大きくて体力のあるところでないと。なかなか。
私:えー。なるほど。何年もつくるのにかかるんですね。だからみなさん修理にだされるんですね。それで張りの仕事が多いんですね。
新川氏:買ったらずっと太鼓を使い続ける感じですね。一つ一つが高いから。
私:なるほど。面の張り作業も結構かかる?
新川氏:まあ、かかりますけど準備がもっとかかる
私:準備?なんの?
新川氏:面をつくらないと。素材が牛の革だから。こうして事前に革を面の素材にしなくてはいけない。これが時間がかかる。
新川氏は作り置きをしている面をなかなか得意げにいくつかみせてくれた。その表情からもかなり難しく長く、そして職人として自信のある部分なんだろうと思いながら色々な太鼓のサイズに合わせた面をみせてもらった。
私:これを持ってないと注目きても受けられないわけか。注目きても凄く時間がかかるなど。
新川氏:そう。いつくるかわからない注文でも準備しないと。
また新川氏は笑った。
牛革を面にするためにつけている様子もみせてもらったが、写真は断られてしまった。企業秘密らしい。
私:面の色が太鼓によって異なるがこれはわざと?
新川氏:それは牛の個性。私にもやってみないとわからないのが事実。同じ工程なので、牛の個性が出来上がりの色を変えている。
私:そうなんですか。牛の個性とは。メチャクチャ深いですね。
新川氏:そう。いつ注文くるかわからないが。
そう答えるとまた新川氏は笑った。
本当に仕事が少ないのかも知れない。
街の縮小ととも減り続ける太鼓の需要
私:跡継ぎとかはいないんです?
新川氏:…
新川氏は言葉は出さずに首をふった。
私:そうなると。この太鼓文化の根強い気仙には職人さんが。
新川氏:あとは一ノ関とか奥州とかにいる人達がなんとかしていく感じかな。向こうの人達がどういう状況なのかは私にはわからないが。
私:業界とか他の企業との交流はないのですか?
新川氏:ないな。他の人たちがどうなってるかとかわからないですね。そういう業界。太鼓は。
ただ相手と取引先にも自分たちから入るわけにはいかない。恨まれちゃうから。
私:じぁあ、新しい市場もひらけない?どこも?
新川氏:太鼓の先生がここを使いたいっていえばそこになるくらいかな?あるとすると。僕はそういう先生達との交流がないので。私の努力不足なのかも知れないですね。
私:さっきいつ注文がくるかって。
新川氏:そう、例えば高校の太鼓部とかあるけど人がいなくなるので、どんどん統合で。小学校も同じ。今まで修理に出してくれていたところもやはり統合で、そもそもこの街は人が減り続けているので、文化は習っても。使ってくれる人が少なくなって。学校の縮小と合わせてお客がいなくなってくるので。
私:なるほど。そこがメイン顧客なんですね。で縄張りもあって…。
それで跡継ぎも…。
新川氏:そうですね。
新川氏はまた笑った。
また含みがあり、何かその先につたえたいことがあるかのように。
でも笑顔しかださない。
求めてくれているうちは太鼓を作り続ける
私:海外進出とか?海外の人にははやるのでは?
新川氏:いやー。そこまでは。それをするのもお金もかかるし。
それは何をすればよいかもわからないし。
私:でもこのままでは…。この気仙地区のあたりはどんどん人が…
新川氏:日本国内ももう中国で作った太鼓がどんどん安くはいってくる。
もう音とか、面の具合とか全然雑で、すぐ壊れても…
安いのですぐに購入できる。やはり日本の人は音の質よりも安さ…も大切にするので。
私:海外でも中国製が安くて強いわけですね…
新川氏:そうですね。どんどん厳しくなるかもしれないですね。
でも私の太鼓を求めてくれる人がいるうちは…
作り続けたいなー。って思ってます。それしかできないですし。
私:そうですか。少なくともここまで面の素材の在庫を持たなくても。先に出る出費も…
新川氏:そう思う時もあるのですが…どんなサイズの依頼が来るかわからないし注文が来た時にはこたえたいので。つらいと思う時もありますがね。
新川氏はまた笑った。
いつも新川氏は話終わると笑う。
すごく優しい方ですごく誠実で語らないが考えていることやこの先を案じていることなど。複雑な感情をもっていることが伝わってくる。
私:今日はありがとうございました。
新川氏:今度は山で釣りの話でもしましょう。穴場教えますよ
私:いいですね!是非。
新川氏はまた笑った。
ただ今度は…含みのない笑顔といってよい表情だった。
きっとそれが彼を日々から開放しているものなんだろう。
なんとも言えない歯がゆい思いで
私は大船渡と離れた。地域の文化、文化は守るが大切な道具の文化のことを
知る人は多くはない。
職人たちは受け継いだ技術をただただ守り続けてきたが、時代の変化とともに受け継ぐ人がいない。日本という国がそうなのか?このエリアだけで起きていることなのか?その場合気仙エリアの太鼓文化はどうなっていくのか?
そんなことをふと思う時間だった。
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