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木はその実でわかる(第一説教集4章3部試訳) #23

原題:A Short Declaration of the True, Lively, and Christian Faith.  (真にして生けるキリスト教信仰について)

※タイトルと小見出しは訳者によります。
※原文の音声はこちら(Alastair Roberts氏の朗読です): 


第2部の振り返り

 この説教で神の律法によく従って生きなければ聖書に書かれている真にして生ける信仰を持ちえないということをお話しました。すべての善き行いはこの信仰から生まれます。また、どのような苦難にあっても信仰を持つことで人間が確固として穏やかで忍耐強くあることができることを、いくつかの例をもってはっきりと知りました。この続きとして、この先の話をきいてください。

信仰深く御心に適った生活とは

人間は安易に自分を欺いて、実際には信心深い行いをしていないのに自分が信仰によって神を知って愛して畏れてもいて、自分の心が神にあるなどという身勝手な思い込みを持つことがあります。しかしそういったことすべてを思い込みではなく正しくできるようになるのが、信仰深くキリスト教的な生活です。信仰深い人は神の誉れを求めようと心が定まっているのを感じ、神の御心と律法を知ろうとよく励みます。そこに自身を照らして確かめ、罪によって悪魔に仕えるなどという自分自身の肉的な欲求に従って日常を送ることのないようにもできます。むしろ神の御心に適うために、また友であろうと敵であろうとすべての隣人への愛のために神に仕えよう心を決め、機会があればすべての人に対して善きことをして誰をも傷つけまいとします。信仰深い人は自身の生活で習慣的に自身が神について誤りなく正しく知識を持っていて、生ける信仰と確固たる希望と神への真にして揺るがない愛と畏れを持つことを学び、神に対する喜びを持ちます。

神の御言葉を知らず闇の中を歩む者

しかしそれとは反対に、神の律法という大切なものを捨て、神の御言葉を知らず、神の御心に適った生き方をせず、自身の肉的な欲求や楽しみに従って、真に悔い改めることのない生活に身を置く者がいます。そのような者は明らかに自身を欺き、心の正しさを求めていません。神を知らず愛さず畏れもせず、信頼を向けてもいません。なかにはひょっとすると、罪のなかに生きているというのに自分が神と交わりをしているのだと信じ込んでいる者もいるかもしれません。そうして教会堂に来て、自身を神の子であるとしているのです。聖ヨハネははっきりとこう述べています。「神と交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、私たちは偽りを述べているのであり、真理を行ってはいません(一ヨハ1・6)。」

隣人を愛さずに闇の中を歩む者

また、なかには虚しくも、神の律法を知ってもいないのに、自身が神を知り愛しているのだと思い込んでいる者もいるかもしれません。これについても聖ヨハネははっきりと次のように言っています。「『神を知っている』と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であり、その人の内に真理はありません(同2・4)。」さらには、隣人を憎んでいながら、自分は神を愛しているのだと自分に言い聞かせている者もいるでしょう。聖ヨハネは断言しています。「『神を愛している』と言いながら、自分のきょうだいを憎む者がいれば、それは偽り者です(同4・20)。」「光の中にいると言いながら、きょうだいを憎む者は、今なお闇の中にいます。きょうだいを愛する者は光の中にとどまり、その人にはつまずきがありません。しかし、きょうだいを憎む者は闇の中にいて、闇の中を歩み、自分がどこに行くのかを知りません。闇がその人の目を見えなくしたからです(同2・9~11)。」

信仰が確たるものか自問すべし

さらにこうも言っています。「これによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行わない者は皆、神から出た者ではありません。きょうだいを愛さない者も同様です(同3・10)。」罪の中に生きているのに、自分が神に信仰を置き、神を愛し信頼し畏れているなどと思い込んで、自身を欺いてはいけません。なぜなら何を口にしようと心に持とうと、自身の信心深くなく罪深い生活がそういうものとはまったく逆の姿を見せているからです。自分は果たしてその信仰を持っているのだろうか、つまり自分は真のキリスト教信仰を持っているのだろうかと自身に問うべきです。その信仰を持つとはどのようなことであるか、その信仰が自身の中でどのように働くかを知ることが、キリスト教徒として相応しいことです。

木はその実でわかる

わたしたちが信頼を置くのは信心深くなく罪深い世界ではありません。そのような世界と、そのような世界にあるものすべては虚栄にすぎません。神こそが、あらゆる罪への誘惑や過ちや、迷信や不貞などあらゆる悪に対抗する私たちの守護者であり砦であられます。わたしたちがこの世に蔓延るものの側にあり、神がわたしたちと対峙なされているとして、この世に蔓延るものがわたしたちを救いうるのでしょうか。わたしたちの信仰と信頼のすべてを神に置きましょう。そうすれば、けっしてこの世や悪魔など、あらゆる罪なるものの力がわたしたちを支配することはありません。善良なるキリスト教徒よ、わたしたちの信仰がどれほどのものであるのかを確かめましょう。慢心を持つことなく、むしろ自身の行いに目を向けて、自らの信仰がどのようなものかをはっきりさせましょう。キリストご自身はこの問題について「木はそれぞれ、その実で分かる(ルカ6・44)」と言われています。

人間は慎ましくあるべし

善き行いをして、わたしたちの信仰が生けるキリスト教信仰であることを明らかにしましょう。聖ペトロが言われる信仰から湧き出でる美徳をもって、わたしたちの受ける選びが確かなものであることを示しましょう。「ですから、きょうだいたち、召されていること、選ばれていることを確かなものとするようにいっそう努めなさい(二ペト1・10)。」聖ペトロは「あなたがたは力を尽くして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には節制を、節制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい(同1・5~7)」と言っています。そうすることでわたしたちは真の生けるキリスト教信仰を持っているということを本当の意味で示すことができます。正しい信仰にあるというわたしたちの良心をよりよく確信し、かつ他の人々を確かにすることができます。このような実りを持てないとするなら、わたしたちは神を欺き、自身と他者を貶めることになります。

善き行いなき信仰は真の信仰にあらず

わたしたちはキリスト教徒と呼ばれながら、持つべき真の信仰を持っていないということになりかねません。聖ヤコブが「行いのないあなたの信仰を見せつけてほしい(ヤコ2・18)」と言っているように、真の信仰は善き行いをもたらします。行いや振る舞いふるまいはその人の信仰をはっきりと見せています。善き行いを伴わない信仰は悪魔の信仰でしかなく、それは邪な信仰であり信仰を持っていると勘違いしているのであって、真のキリスト教信仰ではありません。悪魔や邪悪な者たちの信仰がその対極にある真の信仰よりも善いものであるはずはなく、そういう者たちは破滅に至ります。

慢心を持って怠惰であってはならない

また、キリスト教徒であって、神やキリストの功績やその目的とするものについてよく知っていながら、善き行いをせずに怠惰に生きてはいけません。純粋な信仰が自分たちの中に十分なものとしてあるのだから、この世にある虚しい楽しみに自分たちの心を置いてよいのだと考えてもいけません。悔い改めることなく罪のなかに生き、信仰告白によって得られる果実を口にしない者たちも同じです。そのような不埒な者たち、つまり意図的に罪を犯す者たちには、正しさがなく邪悪な者たちが受けるべき地獄での永遠の苦しみという、神の大いなる罰が下ることになります。

まとめと結びの祈り

善良なるキリスト教徒よ、キリストの御名を唱えるとき、いついかなるときも、信仰についてのそのような勘違いや思い込みをもって自身を欺いてはいけません。そうではなくて、自身の信仰をよくみつめ、自身の生き方に照らしてみて、信仰によって受け取る果実をみて、それによって神や隣人への信頼と愛を強め、真に生ける信仰へと進みましょう。みなさんが自身の中にそのような信仰を持っていることを実感し、そこに喜びがあれば、また、そのような信仰を保とうと努め、みなさんの中にしっかりとそのような信仰が根付いているのであれば、それを日に日に強めることです。善き行いをすることによってそれはますます確かなものになり、強い信仰によって神はみなさんに喜びを持たれます。そうしてやがて、古い時代の信仰深い人々がそうであったように、神の御心によってみなさんも神のもとに召され、聖ペトロが「信仰の目標である魂の救(一ペト1・9)」と言っている信仰の究極にある褒賞を授けられます。信仰深い人々にその褒賞を約束なされた神が、わたしたちにそれを与えてくださるのです。すべての誉れと栄えとが、いつまでもとこしえに神にありますように。アーメン。


今回は第一説教集第4章「真にして生けるキリスト教信仰について」第3部「木はその実でわかる」の試訳でした。これで第4章を終わります。次回から第5章「善き行いについて」に入ります。まずは第1部の解説をお届けします。最後までお読みいただきありがとうございました。

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