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『死に魅入られた人びと ソ連崩壊と自殺者の記録』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/ノーベル賞チャレンジ

ロシアの自殺未遂者、自殺者の近親者への聞き書き集。
やっぱり語りってすごい。
その人だけの言語がある。
彼ら自身の理屈も、あってるとかおかしいとかはあるけど、そういうのを超えた何かが見える。
アレクシエーヴィチは歴史に無視される小さな声を集めながら、
「小さき人の声が必ずしも合っているとは考えない」
という冷静さも持ち合わせている。

やっぱり気になるのは、時代の変化についていけなかった人たちのこと。
ソ連崩壊で社会主義が資本主義になり、「理想国家を建設しよう」から「個人の幸せは個人で頑張りなさい。生活が苦しいのは努力か才能の不足だ」という転換があった。

父の世代は、いっしょに集まると、戦争の話で盛り上がります。戦争の勝利は、いわば自分たちの人生の意味がみつかったようなものなんです。共産主義を建設していた。信じていたのです、この机上の空論を。偽善的で幼稚な理想を。これって心情的社会主義といえませんか。夢を追いかけていた人々。現実が見えない人々。でも、それが人生であり、人生の意義だったんです。個人的問題としての人生の意義は、存在しませんでした。よく覚えているんですが、祝日の食卓をかこんだときでさえ、父たちが話すのはロシア全体のことばかりで、自分たちの人生のことではなかった。

父を自死で失ったヴィクトルさん

社会主義を信じて苦労を乗り越えた人は、純粋で上の言うことを聞いた人だと思う。そのために食料の不足や不当逮捕や、あらゆることに耐えた。そこでの思想の大転換。すると戦争に行って人を殺してきたという事実だけが残る。良心の呵責に耐えられず滅ぶしかなかった。

あの時代に生きていたことが、とつぜんぼくらのせいになった。悩んだ。苦しんだ。どうでもよい。いずれにせよぼくらが悪いのだ。

純粋で信じやすくて不器用、世間の同調圧力に流されるというのは、欠点ではあるけれど、どの程度罰されるべきなのかな。難しい……。
しかも、時代の真ん中にいる間は、そういう人は評価される。

逮捕・拷問されないように立ち回り、戦争に行き、時代が変化したら商売を始め、自分の過去をなんとか消化して生きる、こと、が優れている。
これの、何かが切なくてたまらない。

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