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ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。〜世間知らずの夢の成就は、屋敷ではなく平民街で〜 第九話
案内された先にあったのは、赤い屋根の木造りの家だった。
屋根の下に掲げられている『ネェライ』と書かれた看板は、随分と年季が入っている。
両手が食材で塞がっているディーダが、半ば体当たりで扉を押し開いた。
カランカランとドアベルが鳴り、店内の様子が少し見える。
室内は、日の光だけに頼っているため外と比べて少し暗い。ぐるりと見回せるほどの広さしかない店内には、お客さんどころか見える範囲に店員の姿さえ見えない。
それでも不思議と閑散としていると思えないのは、きっと店内の壁一面の棚に敷き詰められている色とりどりの布や糸などの素材のお陰だろう。
赤や黄、青に緑、紫から白や黒。グラデーションになるように陳列されている様は、選ぶ者の利便性を気にしているように私には見える。
少し埃っぽく雑多な雰囲気があるのが難点ではあるけれど、今日一番のカラフルな世界だ。見るだけですでに心が躍ってしまっている。
店の一角には、きちんと裁縫具類と、数こそ少ないものの布製品――服や小物も売られているようだ。
どんなものがあるのか、少し見てみようかしら。
そんな風に思っていると、店の奥からドタドタと重い足音がやってきた。
「いらっしゃい――ん?」
顔を出したのは、銀髪のモヒカン頭に褐色肌の男性だった。
麻の半そでシャツも黒いズボンもピチピチなのは、彼自身の服の好みだろうか。背が高くて肩幅も広く、隆起した筋肉が逞しい。なんというか、全体的に大きな人という印象だ。
その彼が、ディーダとノインを見つけた途端に立ち止まった。腰から下げられている古びた皮のポーチの金具が、動きに合わせてチャリッと鈍い音を立てる。
瞬間、彼の目がすっと細められる。
「何だお前ら、もう前の服を破ったのか」
ため息交じりの剣呑な声は、邪険にしているというよりは、見知った相手の来訪に外面を取り払った雰囲気だった。
垣間見える粗野な感じが、社交界にはあまりいないタイプだ。無意識のうちに身構えてしまいそうになったところで、ディーダの面倒臭そうな「ちげぇよ」という言葉が思考に挟まる。
「この女が来るって言うから案内しただけだ。じゃなかったら誰がこんな店に来るかよ!」
「女ぁ? って、本当だ。珍しいな、お前らに連れが居るなんて」
訝しげだった表情が、私を見つけて驚きに変わる。
少し彼から、粗野さが抜けた。私もハッと我に返り、咄嗟にぺこりと頭を下げる。
と、両手で抱えていた袋の重心がぐらりと傾いた。気がついた時には、袋の中から鍋が転げ落ちそうになっている。
袋は両手で持っている。すぐに支えのための手は出ない。
代わりに「あっ」と声が出た。慌ててバランスを取ろうと、重心を追いかけて袋ごと傾ける。
しかし重心の崩れには追い付けない。
落ちる。そう思った時、横から手が伸びてきた。
「あ、ありがとうございます」
鍋を支えてくれた手の持ち主は、ノインだった。お礼を述べれば「別に」という素っ気ない声が返ってくる。
そして何事もなかったかのように、目の前の彼に目を向けた。
「アンタの顔が怖くて客が全然寄りつかないから、ボクたちが連れてきてあげたんでしょ」
「うっせぇ! ちゃんと客はいるわ!」
「説得力、全然ないだろ。相変わらずの閑古鳥じゃねぇか、バイグルフ」
バイグルフ。どうやらそれが、この店員さんの名前らしい。
そんな風に密かに情報収集をしていると、ノインが横目で私を見てきた。
「それで?」
「え?」
何を問われたのか分からなくて思わず小首をかしげると、ため息と共に問いを向けられた。
「ここで布を買って何するの?」
「あぁ」
その事か、と思うと同時にディーダも私に注目したのを感じ取った。
コホンと一つ咳ばらいをし、私は少し勿体ぶりつつ佇まいを正す。
「実は、お二人の着替えに服を作ろうと思っているのです」
「「服?」」
予想外だったのか、二人の声が綺麗にハモる。
そう、今日は服を作る材料が欲しくてこの布屋さんに来たのである。
だってこの二人ったら、汚れた服の洗濯を嫌う理由に「あ? 洗ってる間、ずっと俺たちに裸で居ろってか?」「別にいいよ、寒いし」と言うのだ。
因みに私は、二人がまだ寝ている間に家にある毛布にくるまりながら洗濯をして乾かしたりしている。あんなやり取りをする前まではてっきり彼らも同じようにしているのだと思っていただけに、私にとっては彼らの言葉が衝撃的だった。
清潔ではない服を着たままなのは、かなりよろしくないと思う。
二人は口々に「まぁでもこの間、ずぶ濡れになったばっかりだしな」「そうだね」などと話していたけれど、『ついこの間』とは初めて私たちが出会ったあの日のことである。もう一週間も前の話だ。
その時私は思ったのだ。
せめて洗っている間に着る、替えの服くらいはないと困る。
食事以外はほぼすべて「生きるために必要不可欠なものではない」とお金を掛けたがらない彼らだけれど、贅沢と清潔は話が別だ、と。
とはいえ作ったところで、実際に着るのは二人の意志だ。彼らの反応はやはり気になる。
チラリと見ると、二人だけではない。何故かバイグルフさんまでもが、キョトン顔でこっちを見ていた。
もしかして私、また何かおかしなことを言ってしまったのだろうか。少し不安になってくる。
「作るのか? 洋服を?」
「え、はいそうですが……?」
確認するような声色でディーダに聞かれ「それ以外に何があるのか」と少し小首をかしげてしまう。しかしすぐにハッとした。
そういえば私もつい先程までは、食器は買うものであって作れるものだとは微塵も思っていなかった。もしかしたら彼らも今、そういう気持ちなのかもしれない。
「洋服は、最初から洋服じゃないんですよ? 布を縫製して作るんです!」
おそらく知らないのだろう彼らに力強くそう教えると、二人から「そっ、そんな事くらい俺でも分かるわ!」「いやそれは分かるけど」という声がそれぞれ返ってきた。
じゃぁ一体、何がそんなに疑問なのだろう。
深まった不思議に思わず眉尻を下げると、「そんなのアンタに作れるの?」と尋ねられる。
「えぇまぁ一応、人並みには」
裁縫は、そもそも花嫁修業の一環として、それなりのものを身に着けてから伯爵領へと嫁いできた。
ここ数年では他の貴族夫人のように綺麗な布地に綺麗な糸で施す刺繍はなくなったものの、代わりにレイチェルさんから服を取り上げられた事で、ほつれた服の繕いや、屋敷内のまだ綺麗だけど捨てるような生地を貰って、現行の服を見ながら密かに真似て作ったりしていた。
今では何とかそれっぽいものが作れるようになっている。
「流石に貴族が外で着ても遜色のないようなものを作れるほどの腕はないので、あまり期待しないでいただきたいのですが」
「そんなところまで求めてねぇよ」
期待をされすぎて後でガッカリされたら嫌だ。そう思って告げた保険に、鋭いツッコミが返ってくる。
金色の瞳がジッとこちらを見てくるのだけれど、どうしてそんな鋭い目つきでこちらを睨んでくるのだろう。
「で、布を買って作るのかよ」
「え? えぇ、そうですね。そうしようかと思っています。道具もありませんから、今日はハサミや針や糸も一緒に買おうと思いますが……」
やはり気にくわないのだろうか。
ドキドキとしながら彼の返答を待っていると「ふぅん」という許可とも拒否とも聞こえる相槌を返して、フイッと顔を逸らされてしまった。
「じゃぁ俺、外出てる」
「ボクも」
「えっ」
ディーダが抱えていた今日の戦利品たちを入り口にドサッと置き、ノインもそれに続いてしまった。
まだ答えを聞いていないのに、二人はそそくさと外へと出て行った。
一人取り残された私は、カランカランと音を立てながら閉じてしまった扉からゆっくり視線を落とす。
実は、あの家に置いてくれる事への恩返しの一つのつもりで服を作ってプレゼントしようと思っていたのだけれど、もしかして怒らせてしまっただろうか。
思えばそもそも「着るなら清潔な服の方がいい」というのも、単なる私の価値観でしかない。彼らにとっては有難迷惑だった可能性は大いにある。
「やはり二人とも、服には興味ありませんでしたか……」
肩を落としつつ苦笑した。
すると後ろで、クックックという押し殺したような笑い声がする。
「あー、違う違う」
「え?」
店の主・バイグルフさんの声は、慰めているという感じではない。目を向けてみると、困ったような微笑ましいような、複雑な表情の彼が居た。
「いやまぁ確かに服にはそれほど頓着しない方だと思うが、アレはそうじゃない。照れたんだよ、ただ単に」
「照れ……?」
一体どこに照れる必要があるのだろう。
そんな風に思った私に、彼はほんの少しの悪戯心と多大なる親切心を込めて、私の勘違いを紐解いてくれる。
「あいつらには身寄りが無い。二人とも似たような境遇同士で、互いに身を寄せ合って生きてきた。街のやつらは、あいつらが本当に食うに困ってる時は残飯くらいならくれてやるし、俺だってあいつらに貧民としての生き方ってのを教えてやった。着るものに困れば、棄てるような服くらいはくれてやる」
言われてみれば、たしかに先程食品街の店の人たちも、二人に「廃棄品なら」と言っていた。
やはり彼らは、一人で生きているように思えてみんなに支えてもらっているのだ。そんな風に思った私は、次の言葉で現実を突きつけられる。
「でもそれは、不用品をやってるだけだ。俺たちにも俺たちの生活がある。家族なら自分たちの生活を割いてでも助けてやれるが、そこまでの援助はできやしない」
思わず視線を足元に落とす。
言われてみれば、至極当然な話だ。
人に優先順位を付けるだなんて少し寂しい事のような気もするけれど、そうしなければ自分や自分の大切な人たちの生活が危うくなると思えば、とても合理的である。
となれば、やはり二人の『頼る相手がいない』という認識も、いざという時には正しい認識なのかもしれない。
「だからさ、あんたみたいなのはとっても貴重なんだよ」
「……え?」
私?
「あいつらは『自分のための手作り』ってものを知らないんだよ、まだ」
なぜ私がそこに出てくるのか。
予想外の事を言われて、顔を上げて困惑の中で聞き返せば、彼は「やっぱりそれも分かっていないのか」と苦笑気味に言葉を続ける。
「俺も昔は貧民だった。ひょんな事からここの店主に拾われて、店を手伝わされるようになった。メジャーやら何やらを入れているこのベルトポーチは、俺が初めて爺さんから……初めて俺のためにって、他人から作ってもらったものだ。何だかんだで嬉しいもんだ、自分のために誰かが何かを作ってくれるっていうのはな」
腰元のポーチに伸びた手は、大切そうな手つきでサラリとその皮を撫でる。その動作一つで、彼にとってどれだけそのポーチが大切なのかよく分かる。
バイグルフさんの『自分の為に誰かが何かを作ってくれるのは嬉しい』という言葉は、私にも十分理解できる。
幼い頃、私も両親から『私だけのモノ』を貰った事がある。
お母様の刺しゅう入りのハンカチや、リボンや洋服、アクセサリー。それらを貰うたび、嬉しくて心が躍ったものだ。
思えば私は、親から当たり前のようにたくさんの愛を与えられていた。だから誰かから何かを貰った時の、喜び方を知っている。
けれど、彼らは?
もしかしたら彼らは、どう表現していいのか分からなくて戸惑っているのかもしれない。
そう思い至って、やっと彼らの先程の反応に少し得心がいった。
もちろん既にある程度自立している彼らに、ポッと出の私が「親代わりになる」だなんておこがましい話だ。彼らに愛される実感を与えてあげたいだなんて傲慢な事、到底思えはしないけれど。
――あの二人が、少しでもこれで喜べるようになればいいな。
そんな風に、密かに思った。
「で? 見るのか? 布やら」
「はい、よろしくお願いします」
バイグルフの問いに、私はしっかり頷いた。
「じゃぁ見たい布があったら言ってくれ。高い所にあるのは下ろす」
「ありがとうございます」
言いながら、布の棚に目を向ける。
作る予定にしているのはシャツとズボン。
二人分だけど、別のデザインの物を作るほどの技術は私には無い。必然的に同じ型の色違いを作る事になる。
となれば、工夫できるのは色だろう。
辺りを見回してみた限り、一番安い生地は麻である。
彼らが今着ているのも麻みたいだし、生地を奮発したところで私の裁縫の腕が上がる訳でもない。生活水準に見合うだろう麻生地にする。
シャツは今日街を歩いてみんながよく着ていた、この薄ベージュの生地が無難かな。問題はズボンの方だけど、折角だから二人に似合う色にしたい。
長く使ってもらえるように、擦れやすい裾や穴が開いた場所に当て布をするとして、元の色とアクセント、布は二色を選ぶ事ができそうだ。
私としては、ディードはいつも元気な赤のイメージ、ノインは逆に紺色という感じだ。髪色にもそれぞれ似合いそうだし、ベースはそれで良いだろう。
となると、あとは差し色のみ。
うーん……と考えたところで、思い出すのは初めて出逢った時の二人の、曇り空と土砂降りの中でひどく映えた、あの澄んだ瞳たちである。
そうだ。目と同じ色なんてどうだろう。
ディードは黄色、ノインは薄桃。どちらの瞳も綺麗な色だ。
【各話リンク先】
第一話:https://note.com/rich_curlew460/n/n02b3af7df971
第二話:https://note.com/rich_curlew460/n/nc5a6a501aa1c
第三話:https://note.com/rich_curlew460/n/nf657217e33a7
第四話:https://note.com/rich_curlew460/n/n0bcd36a46767
第五話:https://note.com/rich_curlew460/n/n76ef05998ecb
第六話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1da0c89af729
第七話:https://note.com/rich_curlew460/n/nd2f55ce8792d
第八話:https://note.com/rich_curlew460/n/n5b17d5a00e7f
第九話:https://note.com/rich_curlew460/n/n1d1b17ac74db(←Now!!)
第十話:https://note.com/rich_curlew460/n/n508f3f9cf98a
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