なぜ、医療ソーシャルワーカーを志したのか(刺激が強すぎた大学生活編)

家から車で20分。電車で1時間。
家から一番近い大学に福祉学科ができた。


運よく、合格することができた。

新設の福祉学科で、2期生であった。
先生が全然おらず、驚いた。

オープンキャンパスという言葉も知らなかった・・・。

老人福祉論では、「恍惚の人」を読むように言われた。
児童福祉論では、「シーラと呼ばれた子」を読むように言われた。

どちらも刺激が強すぎて、数ページ読むごとに、休みを取った。

福祉の世界も広いと感じた。

ボランティアサークルに所属して、いろいろな分野の福祉を経験した。

認知症の高齢者(当時はぼけ老人といわれていた)の話し相手。

何度も同じ話を繰り返しているのに、一生懸命付き合っていたら、強い疲労感を感じた。

食後に「食事はまだか」と言われて、食事中に「食事のことを忘れてしまう」。イラついてしまった自分自身に嫌悪の日々。

認知症の対応が分からなかった。

自分の祖父母くらいの年齢の男女を陰部を凝視しながらの排泄介護。
裸にしての特浴。
芥川龍之介の羅生門以外で、高齢者を裸にするということは知らなかった。

1ヶ月を超えると腰痛に悩まされるようになった。

知的障害のある子どもが通う養護学校でのボランティア。

親や兄弟に、ボコボコに殴られて、一時保護される女の子
1ヶ月風呂に入れてもらえなったきょうだい児を1時間以上お風呂できれいにした。

福祉の世界を知らな過ぎた。

自分が務まるものがあるかが見いだせなかった。

そんなとき、母方の祖父が亡くなったという連絡が入った。

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