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本当に書きたい事が書けないから、逃げるために書く④ 最愛の祖母 幼少期の思い出その弐

アタシは生粋のおばぁちゃん子

やりたいことやって生きたいように生きてる母が19歳の時にアタシは産まれた。
祖母は44歳でおばぁになった。
でも幸い、アタシがおばーちゃんと言えなかったから、ずっと、あーちゃんって呼んでた。
ひ孫が生まれても、おばーちゃんと呼ばれる事はなかった。

敷地内同居だったから、ずっとあーちゃんと一緒だった。
アタシがどんだけあーちゃん子だったかわかる写真がある。

年子の次女を差し置いて、あーちゃんがアタシを抱っこし、母が、当時飼っていたマルチーズを抱き、何故か まだよちよち歩きだった次女は 地面に座っている。
我が家のカーストだったのか。

44歳の若いおばぁは、バリバリ働いていた。
コレがかっこよくてね。大工さんだったの。
〇〇組っていう屋号でやってたから、そっちの人かと心配してた。※もちろん違うけど。

アタシはいつもあーちゃんの職場にいってた。
木材置き場が好きで、いつも隅っこに隠れて、
木の匂いを嗅いでた。
帰るときに、あーちゃんがアタシを探すのが好きだった。

いつもあーちゃんと一緒にいたから、組の若い衆に惚れたことがある。
コレだけ聞くとざわざわするね笑
いつも優しい大工のおにいちゃん。
もちろん相手にもされなかったので、
次のターゲットは、母の従兄弟のよっちゃん。
学生時代にバイトしてたらしい。
よっちゃんのお嫁さんになるって決めていた。
もちろんなれなかった。
っていうか、アタシ年上好きすぎでしょ。
どっちも15歳以上、年上だわ。

自分の部屋があっても、あーちゃん家から帰ることはなく、
ご飯食べたら帰るー
ついでにお風呂入ってくー
・・・眠くなっちゃったぁ
あーちゃん、眠いーと甘えまくり、母に連絡させ
朝、送っていくからと言わせ
(送ってといっても敷地内だから、20歩くらいの距離)
あーちゃんと寝るという、姑息な手段を使っていた。

でも、夜鷹と言われていたアタシが素直に寝るわけがない。

あーちゃんの左手を抱きまくらのようにして絡まる。
この頃の口癖は、あーちゃんの左手をくれ。

寝てしまう あーちゃんの顔のシワで迷路遊び。

極めつけは、お腹空いたーって呟く。
そうすると、あーちゃん特製のでっかい梅おにぎりが出てくる。のりが嫌いなアタシのため、のりなしで ちゃんと種をとったすっぱい梅干しを入れて持って来てくれる。

これ食べたら寝るんだよ。

暗い部屋で、でっかいおにぎりをむさぼり
あーちゃんちの美味しい麦茶で流し込み
左手にまきつき、眠りについていた。

幸せだったな。

でも、幸せはいつまでも続くものじゃない。

アタシが小4の時、やりたいことやって生きたいように生きてる母が 、離婚し、再婚した事によって、
あーちゃんちでの幸せな生活はピリオドをうった。

第一思春期真っ盛りのアタシが、
母のことが嫌いになったスタートでもあった。

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