怒りの感情を手放せた大人達
「尊敬する人を見るだけでなく、どうしようも無い嫌な奴も見るといい。反面教師になるから。」
腹を立て感情が乱れる私を見て助言してくれた人がいる。
「そんな相手に感情を乱されるなと。
冷めた目でその人を見て、状況を見て、学びなさい。」
と言われました。
でも私はできませんでした。
怒りや、真面目にしてる人が損をする悔しさで体の中がいっぱいでした。
助言をしてくれた大人に聞きました。
「なぜそんなに、落ち着いていられるの。なぜ私のように怒りの感情がないの。」
すると
「君のいる怒りの地点にもう、僕はいないんだよ。怒りをまだ感じている君は、まだその事に関心があるんだよ。関心が無くなった僕には、もう怒りの感情は無い。」
怒りを感じる間はまだ相手へ関心がある。
怒りさえ感じなくなった時、その人への関心や期待が無くなったということ...?
まだ怒りを感じてあげている人の方が優しい。
"どうでもいい"人には、感情すら無いという意味だった。
冷酷な事だった。
怒りの感情がある人より怖いと思った。
そして、
「怒りを感じて乱されるより、もっと自分の人生を素敵に生きて欲しい」
と言われた。
怒りの上の境地を知った
怒りの上を知ってる大人達を知った
怒られるうちが花は本当だと思った
感情を持たれるうちが花だとも思った
できれば好きな人達だけと過ごしたい
でもそうはいかない
知れば知るほど嫌になる人もいる
相手の存在は、自分にはどうにもできないから
だから、反面教師にしなさいと言ったんだと思う
嫌な気持ちで心を埋めるのは勿体ない
学びなさい
自分の姿を客観的によく見なさい
同じことをしてないか
自分の行動で何が起きるか想像できてるか
そしてこうも言われた。
「どの選択をしても君にとっては正解だから、怖がらなくてもいい。でも、結果を想像して行動すること。」
これは出来ている。
自分の行動でどんなことが起きるかいつも考えてる。
その上で、その時の自分が一番いいと思う行動をしてる。
だから、その行動で人にどう思われても気にしなくなった。
想像できてたし、それでもその行動がいいと私は決めて行動したから。
怒りの感情を手放した大人達に私は憧れて、怒りの気持ちをまだ持つ私は、彼らの行動、発言をよく見て聞いた。
まだ反面教師にして学ぶのは私にとって難しくて
それができている彼らに、より憧れを抱きました。
憧れる大人達のようになりたい。
でも
憧れている人に追いつきたいより、いつまでも憧れの人のままでいて欲しい気持ちもある。
追いつこうと頑張るから、私に追いつかれないようにしてね。
以上が、最近の学びでした。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
綺麗にかけた気がします。
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