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大人には希望と可能性を語って欲しい

20代の頃、年長者から「若いのはいいよね、希望や可能性に溢れているからね!」と幾度となく語りかけられた。


年を重ねることは可能性も希望もなくなっていくことなんだ。
そう思い込んでいて可能性があるうちに何かしないと!と焦っていたし、年を重ねるのが怖かった。
40代になった今、それは半分当たっているし、半分外れていると思う。


今からスポーツ選手になれるわけではないし、自分の不得意も理解しているので自分には無理な分野も分かってきた。
若い頃とは体力や家庭環境も変わっている。
そういう意味では可能性は狭まったと思う。
でも積み重ねてきた分野には新たな可能性を感じるようになれてきたし、新しいこともどんどん学んで行動していきたい。


周りを眺めていても、40代でこれまで努力してきたことを実行に移してみようという友人や、経験を活かしつつ、これまでの分野からスライドして新しい分野に挑戦してみようという友人達がいる。
彼女や彼らと話すと、自分への可能性を信じているし希望を持って行動している。


経験がなくても今から5年間一生懸命に何かに集中すれば「経験5年」。
40歳から何かを始めると50歳には「経験10年」
立派なプロフェッショナルだ。


もちろん年齢なりの悩みも抱いたり、若かりし頃の様な行動力もなく、ちょっと背景を計算する面倒な経験もついてしまったりしてる。
だから若者と同じ様にはいけないけれど、いくつになっても希望や可能性を人には感じていて欲しいのです。


育児や介護で人生のある期間を過ごすことがあっても、そこを抜ければ可能性がちゃんと待っている社会であってほしい。
40になっても50になっても、60,70になっても、大人には夢を語ってほしいし可能性を感じて欲しい。
そうすると年を重ねることに怖さが少なくなると思う。


お願いだから大人は若者に説教なんてしないでほしい。
ますます若者が大人を敬遠して、大人の可能性を狭めてしまう。
大人こそ夢を持って自分の可能性を広げてほしい。


これから年を重ねる若者の為にも、そしてこれからも年を重ねる私達の為にも、いくつになっても可能性を感じられる社会になって欲しい。
未だ何者でもない私だからこそ、切に願ってやまないのです。


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