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トラウマからの脱却

これは昔のはなし。ワタシが中学生だったころのはなし。

ワタシは強がって生きていた。決して強くなんかないのに。

ソフトテニス部に所属し、後衛としてテニスに励んでいた。ペアは小学生の頃からの大親友で。団体でのポジションはエースだった。幸先は良好だった。

10人弱の同い年のチームメイトがいた。かなり曲者ばかりだった。毎日毎日代わる代わる誰かのことを仲間はずれにして、無視して、、

誰もが自分自身を守るために、人を傷つける。

ワタシも無意識に一緒にそういうことをしていたんだと思う。ううん、していた。他者の気持ちも考えず。ワタシも同様に人を傷つけなければ、自分を守れない、本当に弱い人間だった。

そんなワタシが変わって、成長していく、、そんなお話です。

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忘れられない過去

中学2年生の夏、一つ上の先輩が引退し、とうとう私たちの代が主導で部活を運営しなくてはならない年になった。ワタシは顧問の先生から推薦されて、部長になった。(当時ワタシはリーダーシップを取ることが好きな方だったので、委員会なども委員長として活動していた。)

同い年の子に部長になりたいと日ごろから言っていた、気が強い女の子がいた。ワタシは部長に選ばれ、その子は副部長になった。(ワタシのペアの子も副部長に選ばれ、2人だった。)

まあ案の定、妬まれたよね。

この妬みだけだったのかはわからないし、付けが回ってきたのか、本当の理由はその当時も、今となってもわからない。ワタシはその時期から部活を引退するまで、仲間はずれにされた。

部長は、日々の練習メニューを考えなくてはならなかったので、メニューを組んで練習前に提示する。すると部長になりたかった副部長さんは「今日その気分じゃない~」とか「それはやだ~」と大きな声でワタシに言ってくる。そして自分の好き放題にやり始めるのだった。時には「なんでがリーダーなの?リーダーシップないくせに」とか近くにわざと聞こえる声で悪口を言われる。(部長になりたかった副部長さんは最悪なことに頭がよかったので口では勝てないということをワタシは理解していたので言い返さなかった。)とにかくワタシが提示することにはすべて抵抗してきた。こうして本来のリーダーシップ能力を発揮するどころか、常に相手の顔色を窺うような習性がついてしまった。

ある日ワタシは校舎の廊下を歩いていると、バレー部の先生にこう話しかけられた。「メンタル強いね、うちに(バレー部に)ぜひほしいくらいだよ」

ああ、周りから見ても一目瞭然な状態なんだ、って初めて気づいた。と同時にワタシは強いんじゃない、あんなやつらには負けたくないから、ただそれだけ。

あいにく、ワタシたちのペアは区で優勝するぐらいの実力はあったので、部長になりたかった副部長さんにはプレーではやり返しているつもりだった。

部活に行くのは本当にツラかった。心が痛かった。それでもワタシは部活を辞めたいと思わなかった。だってソフトテニスが本当にダイスキで楽しかったから。(辞めたら相手の思う壺だしね)ワタシは一人で生きていこうって強く思った。誰にも頼らず、一人で生き抜いてやる、と――――。

でもそんなワタシもとうとう部活を辞めようと決意する時がくる。

自分がそんな状況にある、とは当然母親には言えなかった。ワタシの家は母子家庭だったので、ワタシがしっかりしなきゃ、迷惑をかけちゃダメだ、強くあらなきゃと思っていた。なので周囲の人にも誰にも相談はしていなかった。

ある日部活を終え、帰宅すると、母親が玄関に立っていた。

「もう部活辞めなよ、無理しなくていいんだよ。」

って涙を流しながら言ってきた。ままには全てお見通しってね。(お母さんって本当にすごいよね、尊敬する。)

張りつめていた糸がプツンと勢いよく切れた。涙が止まらなかった。強がりなワタシは、その時初めて泣いた。

その翌日、顧問の先生に部活を辞めることを伝えにいった。辞めることを決意していったのに、なぜか、ワタシと部長になれなかった副部長さんとペアの副部長さんと話し合いの機会が設けられた。何を話し合ったのかは、終始泣いていたからほぼ覚えていない。が結果ワタシは部活を辞めれなかった。(顧問の先生はなぜかかなりワタシに期待してくれていたので、辞めさせてくれかった、、んだと思う)

部活での状況は結局ほとんど改善されなかった(と思う)が、ワタシはそんなことは気にしない鋼のハートを手にしていた。

一筋の光

長い長い雨は急に止んだ。

ワタシのの唯一の癒しは、いきものがかりの存在だった。当時、いきものがかりファンだったワタシは、部活の帰りにいきものがかりの歌をよく聴いていた。

いきものがかりの「いつだって僕らは」を聴いてたら、こんなこと気にしなきゃいいんだ、って気づいた。こんな気にしてる時間もったいないじゃんって!

サビじゃなくてまさかの、2番のAメロでワタシは救われたんです。ステキな歌詞だと思いませんか?(ぜひ聴いてみてください)

泣き出した空に差し込んだ光を信じる事にしたんだ
怯えてる暇があるくらいなら始めた方がいい
遠ざかる雨雲にキスを 光で満ちた世界に愛を
包まれていた不安の影はやがて晴れる

それから視点を変えてみることにした。いろんなことがどうでもよくなった。ワタシ自由だ、って。今まで苦しんできたことがちっぽけに感じた。

そう思った途端、締め付けられていた心が解き放たれて、色を失いかけてたワタシの景色が、すべてが虹色に美しく、輝いて見えた。そんな気がした。

それからというもの引退までの半年はあっという間にやり過ごすことができた。その間の記憶はほとんどないし、欠片も思い出せもしない。

こうしてワタシの長い長い3年間は終わった。

学びとトラウマ

ワタシはこの中学での経験は忘れられないし、考えると苦しかった気持ちを思い出して涙がでそうになる。(実際、文字に書くのも想像以上に結構ツラかった)だけどワタシはこんなに貴重な経験ができて良かったと今では心から思う。この経験のおかげで、他者の気持ちが考えられる人間になった(考えすぎちゃってもどかしいことが多々あるくらい)と思う。自分がされてイヤなことは決してしないと誓った。

でも、やっぱりトラウマは残った。高校に入ってから、ソフトテニス部に入部した。強豪校だったので、高校入学前の春休みから部活に参加している子が多かった。ワタシは既にコミュニティができているところに入っていける程のコミュ力と勇気はもう残っていなかった。そしてまた同じようなことが起こるんじゃないかと思うとコワかった。結果、部活は3日で辞めてしまった。(かなり後悔した。)

またトラウマ?なのかはわからないが、ワタシは人の話を聞き間違えることが多い。恐らくだけど、中学時代での目の前で悪口を言われるという経験のトラウマで、無意識のうちに耳に蓋をすることを習慣化してしまい、グループ単位で展開されている会話には参加しないようにしてしまったんだと思う。この前、仕事でクライアントと上司と4人で話しているときにやらかしてしまったこともあって、最近それも関係してるのかも?って思った。

最高の出逢い

そして大学生になったワタシは高校時代の後悔を晴らすべく、部活に入ろうと決めていた。そして初めてのチームスポーツである、ラクロス部に入部した。

ワタシは中学時代の経験からかなんとなく、人に甘えられなかったり、誰かに頼ったりすることができない人間だった。人に自分の弱いところを見せたくない性格だったこともあり、常にかっこいい自分でありたいと強がって生きていた。

でもそんな性格は、ラクロス部に入部してどこかに吹き飛んでしまった。入部当初はトラウマで、組織に属することが「コワい」と思うこと、被害妄想的な疎外感を感じることもあった。

でもそんなことは決してなかった。ワタシの同期や先輩はとても優しかった。みんなの優しさに触れて、初めて自分の弱い部分をさらけ出せるようになった。(今では人に甘えすぎなくらいになってしまったくらいに!w)

本当に心から大切な仲間ができた。社会人になってもこれからも変わらない、ワタシの宝物。

友達ってすごいね、本当につくづく実感する。人っていくらでも変われるんだなって思った、いつの日かのお話でした!

ツライことはいっぱいあるけど、必ずいいこともあるんだね、!

みんなにたくさんいいことありますように!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

RIA

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