優しい人とそうじゃない人の違い

 優しさを知ってる人は人に優しくされた人。優しさを知ってる人は人にも優しくできる人。

 人に優しくできないのは、人から優しくされてこなかったから。人に優しくできないのは、優しさを知らないから。

そんな風に思ってきた。どんな国にも意地悪な人はたくさんいる。その人たちに出会ってしまうたびに、あの人は他の人に優しくされてこなかったから、あんな態度で人に接するんだよ、と自分に言い聞かせた。


 先週の金曜日のこと、1ヶ月ほど前からチャットで話していたジミトリーが初めて家にやってきた。ジミは23歳の男の子で猫のレジナーと静かに暮らしてる。背が高く、ダボっとしたいかにもヒップホップやグラフィティが好きそうな格好をしていたが、静かでとても小さな声で話す、気が弱そうな男の子であった。厚底眼鏡は彼の大きな目をさらに大きく写していた。彼の心の問題が何なのかは分からなかったが、確かに心の扉は閉まっていた。食事をして長い間話していると、少しずつ自分の話をし始めた。彼は人に優しくされてこなかった。父との絶縁、他家族との不仲、同僚との不仲、仲のいい友人は数人いるが皆遠くの町へ行ってしまったらしい。ストラスブールに1年住んでいた時は同居人に「お前の顔を見たくない」と言われて夜中2時に家の外に追い出され、しばらく安宿暮らし。グラフィティで問題があり一度逮捕され裁判待ちの状態。彼は何かに怯えているようだった。警察や大人は優しくなかった。彼は自分だけの世界を作り、その中には猫のレジナーと、遠い町の数人の友人だけが暮らしていた。暗い世界の中でポップな色のグラフィティを毎日毎日ステッカーや画用紙に描いていた。

 そんな世界に急に僕は足を踏み入れた。ジミは恐る恐る扉を開けてくれた。警察は敵だったが、彼は基本何に対しても否定しない。理由をつけて肯定した。僕の存在は彼にとって真新しいもの。急に現れたよく分からないアジア人を、彼は受け入れた。

 次の金曜日、またジミは僕の家にやって来た。大きな紙袋を持って来た。中には僕の名前のグラフィティが描かれたキャンバスと、僕の名前が描かれた、一度貼ったら一生剥がれないステッカーが10枚ほど。それが彼からの贈り物だった。ジミはその日も静かで何かに怯えていたけど、彼の世界で僕の存在が認められたのだと思った。

 彼の優しさを受け取って、スーツケースにそのステッカーを貼った。町の電柱にも貼りに行くことにした。

 僕が今まで出会った優しい人たちは人から優しくされてきた人たちだったけど、ジミは人から優しくされなくても必死に自分の世界を作って自分の持ってる優しさをそこで守っていた。 「人に優しく」それはもちろん。だけど「人に優しくしてもらえなくても、人に優しく」これは難しい。不器用で人間関係が苦手なジミの優しさから、まだ言葉には消化できてないけれど、何か大事なことを教えてもらった。僕はありがたいことに今までいろんな人に優しくしてもらったけれど、ジミがくれた優しさは他のものと少し違うものだった。少年が大事に守ってる小さな光の一片を、このキャンバスと共に大事にしていきたい。



#やさしさにふれて

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