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1・我は何も食べずに生きとうございます

《りろの食・旅エッセイ》~食べることは生きること編~連載1


 
 絶対ウソやろ。
幼少の頃の自分について人に話すと必ずこう言われる。
しかし本当なのだ。本当に何も食べたくなかったのだ。
「ああ、何も食べんでも生きられたらええのになぁ」
本気でそんなことを考えていた人間が、
数年後にはこんなに「食べること」が好きになり、
しかもそれを職業にするとは。
人間ってヤツは全くようわからん生き物である。

 そもそも生まれた時から「生きようとする力」が弱かった。
授乳に何時間もかかったと、母はよく言っていた。
オッパイをくわえてもなかなか吸わず、見るとグーグー寝ているのが常だったそうだ。
物心がついてからも、食事の最中にコックリコックリと居眠りを始めるので、母がしょっちゅう「ほら、寝てんと食べよしや」と私の肩を何度もノックしたものだ。

 歳の離れた二人の兄は幼少の頃からそれはもう精力的な食べっぷりだったそうで、母によると、二人とも母乳を飲むスピードからしてすこぶる速かったらしい。
であるからして、母のやり方に問題があったのではなく、私はもともと生きようとする力をあまり持たずに生まれてきた生物なんじゃなかろうか。
個性と呼ぶべきか、体質と言うべきか。

 しかしこれがまた180度も変化してしまったのだから、まさに生き物の不思議を体現したような人間なのである、自慢じゃないが。

 そんな私でも、昔から料理を作ることにはすこぶる興味があった。
食べたいわけでもないのに作りたかった。
無限大にある食材が組み合わさり、理科の実験のごとく物質が変幻自在に姿を変えながらひとつの料理へと昇華する。
毎日毎日、いろんな形状のいろんな色のいろんな味のいろんな触感のいろんなお腹のふくれ具合のものが目の前に登場しては人間の体に流れ込んでいく。
おもしろい。
そんなワザを次々と見せてくれる母の姿をわくわくしながら覗きこんでいた。

 とにかく「ものを作る」という行為が好きでたまらなかった。
職人系の血をひいている両親から遺伝したのだろうか、なんらかの素材からものが出来あがっていく過程になにやら本能的な興奮をおぼえる。
こういう時は腹の底から熱量のある光の玉みたいなものがムグググっと盛りあがってくる。
ないと思っていた「生きようとする力」がどこからか急に現れて、目がらんらんと光る。

 あれは幼稚園に上がる前だっただろうか、母がちょっと何かを取りに行っている隙を狙って、私は台所の禁断の扉にそっと手をかけた。
「ケガするから絶対に触ったらアカンよ、ここは開けたらアカンよ」
そう言い聞かされていた扉の取っ手を、ドキドキしながらひっぱってみた。
「わぁ」
中には包丁が入っていた。
持ってみたい……。
これでキュウリや玉ねぎをトトトトトトッとカッコよく刻んでみたい。
お母ちゃんみたいに華麗にまな板を鳴らしてみたい。

 使い込んだ菜切り包丁は、出かける前に母が鏡の前で手品みたいに首に装着するネックレスと同じ銀色だった。
片側の端っこだけが少し明るくキラキラと輝いていた。
その憧れの銀色に手を伸ばして静かに触れてみた。
冷たくて、重くて、なんだか大人になった気がした。
人差し指でゆっくり撫でると、皮膚に細い線が入った。
なんの線だろうとしばらく見つめていると、じんわりと赤い色がにじんだ。

 すぐに台所へ戻ってきた母に赤い線がバレないよう、人差し指を太ももの裏にこすりつけながら、
いつか私も華麗な手さばきで野菜を切れる大人になるんだと心に誓った。
あの日の心臓の高鳴りが、今も耳の奥をリズミカルに躍らせている。

 あることがきっかけで急に食欲が爆発的にわき起こって以来、人格が変わったみたいに食べることを楽しめるようになった。
そして、ひょんなことから食のライターになり、さらに図らずして飲食店を経営するハメになったのだから、人生ってヤツは全くようわからん。

 そして、人生は全くおもしろいのだ。

                    ~りろ~


「あること」「ひょんなこと」「図らずしてなったこと」の3つについて、また書きますね。


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りろ◆京町家の女将
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