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noteを開いてくださりありがとうございます。

りっきーと申します。

今日は私の半生④です。現在までを振り返ります。
(これまでの半生はこちら↓↓)

ではどうぞ!!


1. 休職期間

1-1. 人生の夏休み

適応障害で休む。当時の口癖は情けない(当時の日記にいちページ情けない問い言葉をびっしり書いていた日もある…ちょっと怖い)。
信頼している先輩が『気楽に人生の夏休みを手に入れたと思ってゆっくりしな』と言ってくれた。ただ、そうはいかない…。お休みした期間、特に最初の1か月は辛かった。食事もろくに取れてないし、家からほぼ出ない。睡眠導入剤や抗うつ薬を飲み始めるも、まだそれほど効果が出ている感じはなく、寝つきはあまり良くない。少し気持ちが落ち着く日もあれば、消えてなくなりたい日もある。ボーっとして、一日中ソファーいる日もある。そんな日々を1か月ぐらい過ごす。
だんだん落ち着いてきたな、と思った頃、LINEで私の研究を引き継いでくれたらしい同僚から『あの実験に使う原料ってどこにあるの?』というメッセージが。それまで少し落ち着いていたものがそこから、逆戻り。体中、脳が熱くなり、鼓動が止まらず。ダイニングの床でうつぶせになり、妻が帰ってくるまで10時間ぐらいそのまま動けなかった。

1-2. 働きたい:笑う|走る|化粧品

妻がテレビを見ていた。一緒にいてボーっとなんとなく視界に入る。出川哲朗さん。企画は覚えてないが笑った。その日は涙が出るほど大爆笑した。いつぶりだろうか。笑うって気持ちいい!ここからすっきりと寝れるようになった。

そこから少しずつ行動できるようになり、溜まってたメールを見返していると、申しこんでいたマラソン当選の通知。休職前、メンタル改善には運動がいいとリフレッシュのためにと申し込んでいたものだった。少しずつ走り始めた。日の日差しを浴び出すと元気が出てくる。働ける気にはならないが。

ある日、自分が試作で作ったサンスクリーンが家にあった。使ってみたところ、ラメ(パール)が入っていて、塗るとキラキラする。その使い心地にトキメいしまい『また働きたい!』と思い、復職を決意した。

1-3. 復職&初のフルマラソン

めちゃくちゃ緊張した。復職後は会社の配慮もあり研究から外れた。新たにサンスクリーンを創る機会は失ったが、それでもまずは大きな一歩。復職前夜は一人で家の周りをお散歩した。何とも言えない気持ち。ぽろぽろ涙が出たけど、悲しくはなかった。
復職直後に初のフルマラソン。”このフルマラソンを一度歩かずにゴールできれば、復職後もやっていける”と心に誓っていた。練習をきちんとできていたわけではないので、苦しかったし、足も痛くなって引きずるようになり、止まりたかった。でも絶対にゴールすると決めていたので何とか走り切った。

2. 経営大学院へ

2-1. 認知行動療法

復職後、メンタルクリニックの指導で認知行動療法に取り組んだ。自分の思い込みをなくし他人だったらその時思う?というのを言葉にし、ネガティブな思考の癖をなくすトレーニング。今後ストレスを感じた時に同じように抱え込んでしまわないようにする対処法。先生に診てもらいながら、もっとこんな考えもできるかもね?とかいろいろアドバイスをもらいながら続けた。

即効性はないがジワジワとストレスを受け入れられるように。
これはオススメ。

2-2. 前向きで生き生きと働きたい

心も安定した時期、当時は研究の戦略や広報をやっていたが、ここで自分が何に貢献できるかを考えたとき、MBA(経営学修士)を取りたいと考えた。仕事との両立で大変だと思ったけど、ここでの学びを会社に還元できれば、もっとメンタル不調に悩む人を減らせる組織づくりもできるのでは?と考えた。学費は300万円ぐらいお金がかかるし、当時妻が妊娠していたので時間的にも難しい状況。いろんな相談を受けてみたけどやめた方がいいという意見ばかり。でも自分を変える、会社を変えるために、後悔したくないと思い挑戦を決意。代わりにランニングなどの他の趣味は一切やらないことを決断。妻も了承(しぶしぶ)。

2-3. 自己効力感

落ちこぼれ、普通でいいと思っていた自分が大学院の授業で発言し認められる。集中して全力で取り組むと、周りからも『クラスを引っ張ってくれてありがとう』と言われ、やれると感じた。この時期、相談してくれた後輩の人生やキャリア、上司との関係性、研究の方向性などを個人としてサポートする機会があった。前向きでやりたいことへ夢中になっていく過程を見て嬉しくなった。同じく経営大学院でも、悩んでいるから話聞いてくれないかと相談してくれたり、自分からこの人今悩んでいるな?という人に声かけたり。
悩み落ち込んで沈んでいく人、現状に閉塞感を感じている人がほっとけなかった。

2-4. 前向きな組織づくりへの挑戦

心理的安全性やWin-WinというキーワードをMBAでの学びのテーマにした。会社・研究所は、メンタル不調の人がたくさんいて休職者も後を絶たない状況。前向きで研究に夢中になれる組織づくりをしたいと考えた。やれる感覚は自分に変化をもたらしていた。最初は周りに『組織を変えて行こう』と相談しても共感は得られても協力は得られない。みんな矢面に立つことに恐れている感じ。だったらと思い、研究役員に1on1を申し込んで組織づくりに対して意見を述べ変革を訴えた。また自社の会議は、罵倒・否定・過度な叱責が当たり前だったので、”心理的安全性の高い会議のやり方”について学んだことを実際の会議の場でトライした。途中コロナ禍になり、自分自身のメンタルが不調になりかけた。余裕がなくなると、自分自身がケンカ腰で変革を進めてしまい、悪い会社の社風を体現してしまっているような振る舞いをしてしまったこともある。それでも何かを一つでも変えようと必死に取り組んだ。

2-5. 風向きが変わる

社会の風潮の変化もあり、心理的安全性は一つのムーブメントになりつつあり、会社として取り組むようになっていった。会社では組織風土の変革を経営の重要と位置付けた。人事の人が自分の活動や考え方を見ていてくれて、そのプロジェクトに組み込んでくれ、会社の正式な取り組みとして改革を推し進めることができた。ちょっとずつ成果出てきた。

2-6. 代表で志プレゼン

仕事とMBAの講義の両立で、やり切れないこともたくさんあったけど、ボロボロになるまでやった。大学院修了の間際、学年の代表者数名がその人自身の志をプレゼンするイベントがあった。
正直最初は他人事で誰が代表者になるのかな~と思っていたら、なり手がいない。そこで手を挙げた。労働組合と同じで人がやらないことはやりたいくなる。たくさんの方々がプレゼンの内容をサポートしてくれて、Zoomだけど数百名の前でプレゼンをやり切ることができた。その数百名が自分のためにチャットで何百通と来た時には達成感があり、そんな自分を誇らしくもあった。素晴らしい仲間も得られたんだと感じた。無事大学院も修了。

自分で決意して行動するとどんどん道は開けていく。

3. やりたいこと探し

3-1. 学び続ける。でも…

修了後、学びことの重要性を認識し、いろいろ資格をとっていった。2年間で20個以上ぐらい。組織風土づくりは会社自体がいろんな取り組みを自走していたものの、いまいち効果が感じられない。その原因が会社の非効率なところにあって業務を圧迫しているのでは?と感じたので、組織の改革を進めるためにITが大事だと思った。そこでIT系の資格を中心に取得。エンジニアスキルも必要ではと思いプログラミングも学んだ。さらにDXを学ぶために東京理科大学のカリキュラムで半年間学んだ。一度、決めたら新しい環境に身を置き、人生を切り開くことができるのは自分の中で一種の成功法則になっていた。取り組み姿勢は一人前で妥協せずITスキルの向上に取り組んだと自分でも思う。社長室をノックし、DXの必要性を直談判することもできた。

ただそこからいざ、やっていくぞ!となるはずが、何か力が入らない。
自分のやりたいことって本当にこれなのか・・・?

3-2. 自己を理解する

DXの必要性も感じていたものの、何か別の自分が熱中できるものはないかと考えていた時期、会社の新規事業募集があった。やりたいことを見つけ、キャリアアドバイスでマッチングするようなビジネスを提案するも落選。率直にいま自分がモヤモヤしている点をぶつけたが、迷いある人間のアイデアが通るはずもなく落選。そのころ、書籍『世界一やさしいやりたいことの見つけ方』著者八木仁平さんの会社が提供する”自己理解プログラム”なるものを受講。コーチングも受けながら、自分自身の価値観や得意なこと、好きなこと、能力はどんなものか?を棚卸しした。詳細は書かないが、なんとなくではなくロジックでやりたいことを見つけられる素晴らしいメソッド。これは世界中の人が教養として身につけるべきものだと確信できる。全力でプログラムを取り組みながら、やりたいことを見つけていった。

以上がこれまでの私の半生。


4. これからの私


今までの人生を振り返り、さらに自己理解を経て、
これからの私の人生をどう生きるかを勝手に宣言する。

4-1. 私のやりたいこと

『現在の環境や状況にとらわれ、やりたいことがわからず未来に閉塞感を感じている人に、いろんな可能性の中から前向きな未来に気づき、そこに熱中できる状態にする』
それを自己理解やコーチングを通じて、価値として届け、実現していきたい。

4-2. 私の人生のゴール、ビジョン

『くすぶる個性に火を灯し、100億色の炎が燃え上がる世界をつくる』
30年後、世界の人口は100億人に到達すると予想されている。今後30年、地球上のすべての人が他の誰とも違う様々な自分らしい色の炎を燃え上がらせる世界をつくる。

4-3. 自らの人生で熱中する生きざまを体現する人でいたい

たくさんの人を熱中できる状態にしたいと考えている人自身が熱中できてないと説得力がない。そのために私自身が、やりたいことに熱中する100億分の1の炎である必要がある。そのために以下のことをやる。

①独立
現状はしっかりとした青写真があるわけではないけど、今の仕事を辞めることは決めている。自分自身の提供できるものを形にして独立する。
現職では、仕事として組織を変えようとして奮闘したけど、実際に自分自身が満たされたのは、これまで相談してくれた人、一人ひとりと向き合うことができた時。その一人一人を大事にできるような仕事を作り上げていこうと思う。

②自己理解コーチ
自己理解プログラムを提供するコーチに採用いただき、働けることになった(2025年から)。やりたいことに熱中できる人たちを世界に広げていくため、自己理解でやりたいこと見つけ、くすぶっている個性に火をつけてあげる。自己理解に自分自身の熱量を込めていきたい。
そして、こんな自分の半生も含めて自己理解を世界中にもっと発信していきたい。TEDのような場、プラットフォームの舞台に立つことを目標にする。

③マラソンランナー
小さいころから、走ることが大好きだったのに、家庭や環境のせいにして、その気持ちに蓋をし走ることを止めていた。今はこどもが二人いていい年のおっさん。記録を追求していくことは無理だとつい最近まで思っていた。でも誰が不可能だと決めたのだろう?
自分自身が一人のクライアントしてコーチに相談した時、
『私は自分の環境のせいにして、やりたいことを我慢してきたから、あなたにはそうなってほしくないよ』とだけ言っているコーチと、『私は自分の環境のせいにして、やりたいことを我慢したくないから、今も自分のやりたいことに挑戦している。一緒にやっていこう!』というコーチがいた時、後者に相談したい。頼りたい。だから年齢も今の環境も関係なく、マラソンランナーであることもあきらめないことした。エリートしか出れない福岡国際マラソンに出ると決めて、ランナーとしても熱中する生き様を体現する。

4-4. さいごに

私のことを環境を変える再現性を持っている人、そこが一つの強みだと言ってくださった方がいる。

・実家を抜け出したくて、尊敬できる兄のいる大阪の大学に進学することで落ちこぼれず、勉強や研究に向き合えたこと
・大学院を変えて夢中で取り組める環境をつくり、最後は最優秀学生賞を受賞できたこと
・職場でダメになりそうな時、大変だとわかっていても労働組合の執行部に挑戦し、前向きな環境で働けることを知り成功体験も得られたこと
・周りの反対の中、経営大学院に進学し、学びを活かして自分なりに組織づくりに取り組んだこと
・IT資格取得やDXを学ぶだけでなく、社長へ直談判までいけたこと
・やりたいことを見つけたいと思い、自己理解を深めようと思ったことで、自分が確信するビジョンやそれに向けた熱量を自分に感じられるようになったこと

自分には何もないと思っていた。凡人ですらなく普通にあこがれてた。今はその辛かった記憶も含めて自分にしかない最高の貴重な経験だと思える。

前述の環境の再現性が強みだと言ってくださった方は、
『りっきーさんはマラソンに例えると、苦しいと気に前を走ってくれるペースメーカー』だとも言ってくださった。

落ちぶれていてくすぶっていた経験がある。マラソンでいえば、未経験の人が完走できるかどうか、そんな人。私の経験はそんな人の伴走者にもなれる。一方でマラソンを速く走れるような3時間をきれるような人の伴走者になるためには、自分がその前を走れる力がないといけない。だから、もっともっと背中を見せれるように、走り続けたい。

以上、最後までに見ていただきありがとうございました!!


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