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人生を味方に

人生のターニングポイントを意識したことはありますか?

進学、旅行、恋愛、引っ越し、買い物での選択もやいつもと違う帰り道など、どんな小さなことでも人生のターニングポイントになる。

私は小学生に上がる時に、親から習い事としてピアノかバイオリンどちらかの選択肢ももらいピアノを選んだ。その選択は音楽好きの私を作り出し、高校で女子だけのロックバンドを組みステージで歌うという楽しみを味わった。ボーカルをやっていたから歌が上手いというと言うことではないが、人前でステージに立つと言うことに躊躇はしなかったし、とにかく楽しかった。

中学に上がるときは共学か女子校の選択があり、親の勧めで女子校を選択したが、厳しい規則に好奇心が耐えられず、やりたい放題好き放題の生活はエスカレーター式のはずの同高校に進むことが断念され、内心私はほっとした。親には申し訳なかったけれどそれは私にとっての解放で、そのままでいたら親の予定ではなかった高校でガールズロックバンドを組むと言う楽しみは得られなかったはず。

卒業後の安定した就職先では、ひょんなことから日本を出ると言う選択肢がやってきた。親元から離れたことがなかった当時はあまりにも突飛な思いつきに思えたけど、きっかけは、日本は(今いるところは)世界という大きな場所のほんの一部でしかないという見方の種を蒔いてくれた友達との出会い。単に住む場所の「選択肢」が広がっただけのことだった。

日本脱出を思案しているまさにその時に、お節介好きの知り合いが、あなたは今まさに大殺界の最中だからそんな大きな決断をしては絶対にダメと言われた。でも帰ってその言葉が私の背中を押し、これは動くときなんだと確信したのです。

ヨーロッパで約2年を過ごした帰国後、ファッションに関わる仕事をしたくていろいろと面接を受けてみたものの、なかなか決められず(当時は「決まらず」と思っていました)、ファッション以外の外資系へと選択肢を広げようかと思っていた時に、当時付き合っていた人が諦めるなと背中を押してくれたことで、ファッションモデルのマネージメントという、それまでに聞いたこともない仕事と出会うこととなり、約20年勤めることになった。

モデル事務所に勤め出して7年目、モデルのマネージング業も一通り経験し、次のステージに行く時かと一旦仕事をやめ実家に帰ることを決めた時のこと。知り合いにどうしても合わせたい人がいると結構しつこく言われ、連れて行かれたモデル事務所のドアを開けると、そこには10年以上も前に、人生で初めて行ったファッションショーのアフターパーティで会った当時スーパーモデルの等身大写真が待ち受けていたのです。もう、「はい、わかりました。こちらで働かせていただきます」と言うしかなかったのです。

人生の点と点を繋ぎ合わせると今につながり、その時の物事は起こるべきして起こり、出会いは出会うべきして出会ったということを考えざるを得ません。点は人生の中の可能性として無限大なので、何を選ぶかは自分次第。あの時にあの道を選ばなければ違う人生が待っていたのかもしれないし、もしかしたら、あらゆる選択をしたとしても、今のこの場所につながっていたのかもしれない。

人生のターニングポイントを後にどう捉えるかで自分の人生が変わる気がします。過去は変えられないけど、それをどう捉えるか。人生を味方にするのは、自分に感謝し、愛し、誉めてあげることかも知れません。



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