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私が選べなかったチワワ

その夜、仕事終わりに妻と待ち合わせ、インドカレー屋に行った。
緊急事態宣言発令中で、私は完全リモートワークであったため、しばらく妻以外の人と直接会って会話をしていない。この頃、妻と会って話をすることは、私にとって心の励みになっていた。

白ワインをボトルで注文した。注文時から妻には「ごちそうさま」と言われる。
私がおごることになっている。困ったものだ。

「もし、あの時、チワワを選んでいたら別れなかったのかな」という話題があった。

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それは2020年の1月、ある日曜の夜、妻がスマホをなくして家に帰ってきたことがある。
酔っぱらっていたので、とりあえず家まで帰ってきてくれてよかった。引き返してスマホを探していたら、連絡がつかないままどうなっていたか分からない。

なくしたスマホをどうやって見つけようか。終電の時間は過ぎていたし、その日に立ち寄った場所に電話をかけても繋がらないだろう。

iPhoneを探すアプリがあるではないか。
iPhoneを探す機能をONにしているか聞いたが、妻はそんなの知らないと言う。でも、調べたところデフォルト設定でONになっているようだ。

私のiPhoneの中にあるiPhoneを探すアプリにApple IDとパスワードを入れてもらい、妻のiPhoneの在処を特定した。
GPSは池袋駅を示している。池袋は埼玉県民のターミナル駅、乗り換えか何かのタイミングか。

翌朝、まず私は、会社に急用で一日休むことを伝えた。

JR東日本の忘れ物問い合わせセンターに電話した。
どこの駅で何を落としたのかを聞かれる。ああ、これが分からないと難航するんだな。Apple IDとパスワードさえ覚えていれば、落としてしまっても場所を特定できる。そう、iPhoneならね。

「池袋駅でiPhoneを落としました。GPSが示しているのでまだ池袋にあります」

iPhoneの機種と色と特徴を事細かに聞かれた。特徴的なスマホケースに入れていたので、すぐにどのiPhoneか特定してもらえた。ちゃんと忘れ物預かり所にあるではないか。

なんだ、駅で預かってもらっているなら私まで休まなくてもよかったか。とはいえ、連絡手段がない状態で一人で行かせるのも心配なので、一緒に池袋まで行った。

スマホは無事に回収できた。本人確認のためか、自らロックを解除するように言われた。

妻は二日酔いでしんどそうだったので、埼玉に引き返した。

その日は一日有休にしたので、夕方買い物に行ったところ、ふとペットショップに立ち寄ってしまった。
なんとなくゲージの中のチワワが気になり、ずっと見ていたら、店員さんにつかまってしまい、チワワを抱かせてもらうことになった。妻もチワワのことが気に入っている。瞬時に「与作」と名前をつけて呼んでいる。

そして、私の膝の上に「チワワ:与作」を乗せたまま商談が始まった。
「与作」の値段は40万円、諸経費を含めたら50万超であった。住んでいる物件はペット同伴不可のため、引っ越しが伴う。
お金の問題だけではない。いずれ犬か猫を飼いたいという思いはあったが、将来子供ができた場合、小さいうちはペットがいると大変なんじゃないかという不安があった。

店員さんが営業トークで攻撃してくる
「ワンちゃんは赤ちゃんを育てる練習になりますし、人間よりずっと楽ですよ。引っ越し先が決まるまで、うちでしっかり預かりますし、ローンも組めますから」
妻はうなずきながら聞いている。

2対1だ。

そもそも妻は部屋を散らかすし、休日遊びに出かけてばかりで家にいないではないか。ちゃんと世話ができるのだろうか。
妻によると、「与作」がいれば、飲みに行かない。部屋は片づけるしちゃんと掃除する。家事もする。だから飼いたいと。

店員さん「ほら、奥さんがちゃんとするって言ってるじゃない」

「昨晩、妻が酔ってスマホ落としちゃって、今日、会社休んで一緒に探したんですよ。で、休みになっちゃったからペットショップへ来たんですよ」
と、私はつい愚痴をこぼしてしまう。
普段の生活ぶりについても、べらべらと愚痴をこぼしてしまった。

「与作」の値段が高いので、「前にペットを飼うなら、保護犬や保護猫にするって話してたよね?」と妻に言ってみるが、「そういう問題じゃない」と一喝される。
そうだよね、今ここで出会った「与作」じゃないとダメなんだよね。

私の中での「与作」を連れて帰れない理由は、お金と将来の子供、現在の妻との関係性など。
不可能ではないが、現実的に難しいと判断した。

以前、妻の実家には犬がいたのだが、妻が子供の頃に「連れて帰らないなら私も帰らない」と駄々をこねた末、一緒に暮らすことになったそうだ。
親は娘に対して折れたが、私は折れなかった。

店員さんは「そっか、要らないって。この子を捨ててしまう旦那さんなんだね。じゃあ、旦那さん捨てちゃえ」って妻に向かって話している。とんでもない営業トークだ。
さらに、「私はこの子達のことを一番に考えて話しているんです」と店員は言っていた。

ほんとかな。

後から妻が言っていたが、「あの強引な売り込み方は、売ることしか考えてない人だよ」と。妻は「与作」を連れて帰りたかったから、その時は店員の話に乗っかっていたけど、あれはひどいよねって。
感情で押し切られると困ったものだ。私は「与作」を、捨てたんじゃなくて選ばなかっただけなのだが。

膝に乗っている間、しっぽを振って喜んでいた「与作」は、帰り際になるととても悲しそうな表情を見せた。鳴き声のトーンも変わって聞こえた。
ああ、こうやって今回も選ばれなかったことを感じ取っているのか。
でも、きっといつか飼い主が見つかるよ。強引に買わされた飼い主じゃないといいね。

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インドカレー屋で、あの時「与作」を選んでいたら、今どうなっていたかを考察する。

私は「他のことをちゃんと消化していなかったら、「与作」の件を交換条件にいろいろと要求していたかもしれない」と、また現実的な分析をしてしまう。
妻は「あなたの選択はいつも正しいね」と言った。妻は「与作」をきっかけに変わりたかっただろうに。

きっと私の方が「与作」のことを引きずっている。
あの帰り際の悲しそうな「与作」の表情と鳴き声は、今も忘れることはできない。

2020年5月


*これは当時の日記を元にした、1年前の話である。日記のため、「妻」と表記している。離婚に至るまで、このnoteはつづく。


*このnoteの続き


*このnoteのはじまり


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