#100 「女子力」に物申したい
女子力という言葉が令和のいま、これほど一般的に使われているのが不思議でならない。
料理が上手とか、メイクやお洒落が上手とか、そのスキルを持つ個人が賞賛されるのは良いことだが、「女子」という巨大な主語で括るべきではない。
掃除も洗濯も車の運転もパソコンの設定も、その得意・不得意に男女差が生じるものではない。
そうしたステレオタイプから脱却する時代に颯爽と現れた新語がこれだから、がっかりする。
女らしさや男らしさなんて、磨く必要はないのに。
あなたがあなたらしくあればいい、お金や時間はそのために使われるべきだ。
編み物をする男性や、機械オタクの女性がいたっていい。
メイクをする男性がいていいし、しない女性がいてもいい。
男性と結婚したい男性がいてもいいし、女性とセックスする女性がいてもいい。
あなたらしさを伸び伸びと発揮している姿こそ美しく、それが女性的か男性的かだなんて、どうでもいいことなのだ。
「女の子(男の子)なのにすごいね」などというマイクロアグレッション(無意識の差別)が未だに蔓延している現状は恥ずべきことだ。
いろんなnoterさんの記事を読ませてもらって、つくづく思う。
当たり前だが、同じ人間など誰一人としていない。
日記のような記事であっても、人間味が透けて見えるから面白い。
私が面白いと感じるのは「人柄」で、そこに性別は関係ない。
一方、収益化に夢中な人の記事は、つまらない。
稼げる記事のテンプレを意識しすぎているのだろうか。
誰が書いていてもいいような、お役立ち情報の提供など求めていないのに。
これは、書き手が「らしさ」を求めた結果ではないだろうか。
あなたの言葉で、書きたいことを伸び伸びと書く。
それが面白いし、そのままでいいのだ。
ところで、ごくたまに女性で一人称が「僕」の人がいる。
私はこれをボクっ娘は萌えるので推奨したい。
言葉が同じ(対等)になることで、ジェンダーギャップの解消に繋がっていくと思う。
それと何より、ジェンダーの問題に関しては、ヘテロセクシャル(異性愛者)の男性に、もっと関心を持ってほしいと願っている。
嫁さんを養うことが前提の社会ではなくなっているから、安易に専業主婦になりたいと言われても困る男性が多いはずだ。
男と女、そんな単純な境界線すら消せないなら、性的少数者や障がい者など、更なる人権問題への理解が進むはずもない。
社会的包容力を高めていかなければ、日本はジリ貧である。
「女子力」という言葉は、その障害であると感じている。
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