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#088 愛と幻想のデモクラシー

 また、夢のような話を書こう。仕事とお金の順序が逆転したら、どうなるだろうか。労働してお金を得るという順番ではなくて、暮らせる程度のお金をあらかじめ持っているとしたら。

 誰も働かなくなって、早晩破綻するのだろうか。それとも、社会活動の心理的安全性が高まり、よりチャレンジしやすい社会に変化しさらなる発展を遂げるのだろうか。私は、後者の夢を見ている。

 私の世代では無理でも、未来はそうあるべきだと思っている。人間は、お金より大切なのだから。ベーシックインカムは不可能、どのような悪影響があるか不確定だというのなら、実現可能な少額からやってみてもいいのではないか。

 月1万円を配布したら、為替や株価はどうなるのか、人々の行動はどう変わるのか。健康で文化的な最低限度の生活と、労働意欲がバランスするのはいくらなのか。当然だが、併せて減税も行うべきだ。槍玉にあがるのは、やはり逆進性が問題となる消費税だろうか…

…そろそろ夢から覚めようか。

 実は、ここまでの話は、映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」でおなじみ(?)の、小川淳也議員の著書(日本改革原案~2050年 成熟国家への道~)から、影響を受けて書いている。

 小川氏は現在、総理大臣になれる可能性が数パーセントはありそうなくらいには出世されたが、果たしていざ天下を取ったという時、ベーシックインカムの導入に触れる覚悟はあるのだろうか。

 私は、政治に対してはとっても悲観的なので、描いた理想に嘘はなくとも、しかし実際には、口に出すことすらできないのではないかと思っている。

 手厚い保障には重税が伴う。それは当然のことだが、納税者の生活保障や暮らしの向上としてしっかり返ってくる社会、お金のことで犯罪や売春や自殺をしなくてもいい社会があり得るのなら、受け入れられると小川氏は考えているようだ。

 ただ、マスコミやネットの袋叩きをかわして、理解者を増やしていくというのは、並大抵のことではなく、実際にはその野望を述べることも困難だろう。もしこの国が、ワンイシューで国民の信を問うことができる国なら、また違ってくるのかもしれない。

 選挙となると、マニフェストの中に個別には賛同できないことがあっても、総合的に考えて自分の考えにもっとも近いと思える候補・政党に投票することになる。つまり、包括的に選択することしかできない。

 例えば、自民党はいつも与党(選挙に勝っている)だが、世論調査では同性婚に賛成する人が6割超いる。

 性的少数者に対する態度は、立憲民主党、共産党、社民党など野党(左派)の方が積極的である。

 しかし、きっと次の選挙でも自民党が勝つだろう。そして、賛同されていない個別のイシューも、国民の信を問うたものとして扱われる。

 このようなことが、世の中をおかしくしている。そしてこれは、どこが政権を取ったとしても、ルールの都合上、必ず発生する問題である。

 日本の民主主義に、民主主義をやっている実感がない原因は、これではないだろうか。選挙とは別に、個別の議題でも国民投票をやれる国にならなければならない。国民投票すら夢物語だとすれば、やはりこの国は、ゆるやかに死んでいくことだろう。

 最後に念のため、私は必ずしも小川淳也議員の支持者という訳ではない。私は誰も支持しない。私の投票スタンスは「いま権力を持っていない人(の中からマシそうな人に)入れる」である。

 理由は、選挙広告などで腹の底まで知れる訳ではないが、権力は必ず腐敗するから、ハズレを引く可能性があったとしても、定期的に入れ替える方が望ましいとの考えからだ。(先の神奈川県知事選は、地獄であった)

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