タイトル

私の乳がん闘病体験記 その7~結婚式をするべきなのか否か~

当時35歳だった私の、壮絶がん闘病体験記を連続して書き綴りたいと思います
身近な人ががんにかかったことがない人には知らないような、ありのままの「がんの闘病」というものをお伝えします
正直私の経験からすると、みんなありのままのがんの闘病というものを隠してる。我慢してる。情報として出ていない
実際の闘病ってこんな感じなんだよってことを、お伝えし、かつ、読んでくださった皆さんに定期的に検診を受けてほしいという気持ちを込めて

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私の手術日は、12/9
その理由は「結婚式が終わってから一番早い日取りにしましょう」とお医者さんがおっしゃったから。

でも、私はがんが発覚してからずっと考えていた
これから何にお金がかかるかわからない。転移していた場合抗ガン剤治療が長く続くことになり、自分は不妊になり、「共働きをする」という約束とまではいかないけれど、同意のもとで結婚していたのに、働けない時間がどんどん増えていく。
まだ現時点では、執刀医の先生がおっしゃる通り「がんを切ってみて、病理解剖してみないとわからない」状態

経済的不安が私に強く襲った

こんな状態で、私は結婚式を挙げていいのだろうか

ぶっちゃけて言うと、結婚式にかかる値段は約50万円
式の内容は、私の両親、妹、旦那のお母さま、お父さん代わりだったお兄さん夫妻、お兄さん夫妻のお子さん4人の、家族婚だった。
最初に式場を契約する前には、だいたい30万円でできそうだ、という見積もりで契約したものの、実際は色々お金がかかってこうなった
それはまぁいい。契約時点では、まだ私はがんは発覚していなかった
そして契約の時に、言われていたのだ「仮に近親者が交通事故などご不幸があった場合であっても、契約を解除することはできません」と。
…仮に、契約者当人ががんになった場合は?
私は結婚式場に電話をしてみた
結論は、やはり「契約解除はできない」というものだった
それでも私の事情を考慮して「先にお金を支払ってもらって、別の日に変える」という特別措置というものを提案された
しかし、私の経済的不安を払拭するものでは全くなかった。
結局お金は払うのだから
そこで、その契約責任者と大喧嘩になった。貴方に人間の血は流れているのかと、何度も泣き叫んで、なまじ私は屁理屈が得意だからガンガン言いたいこと言いまくって、本当に相手方にはご迷惑をかけたと思う
相手も仕事だ。しかも、結婚式は11/22「いい夫婦の日」で、しかも休日。一番の式場的稼ぎ時だ
でも沢山結婚式があるなら、一個ボツになってもいいだろって、当時の私は思ってしまった
私ほどつらい思いをしている人はいないだろ!?って、思ってしまっていた。しかも契約時の私たちが幸せいっぱいの時を見ていただろう!?と。
契約時点では、確かに近親者に不幸があった場合、という説明を受けていたが、当人に不幸があった場合とは言っていなかっただろうと理屈をこねた。
話し相手は、いつもお世話になっているウェディングプランナーのFさん(女性)ではなく、契約担当者を出せと言って出てきた、実際に契約した時の営業マンS氏(壮年男性)だった
女性脳、男性脳、という言葉があるが、私はバリバリの女性脳で、相手は男性脳で、全く話が平行線だった。
貴方が契約解除権限がないのなら、権限のある人を出せ、と私が言っても「私が契約担当者なので」としてガンとして譲らない
結婚式がしたくない訳じゃない
私の中では、結婚式がしたい気持ちと、経済的不安とで揺れに揺れていた
でもS氏はそんな揺れる女心すら理解してくれなかった

最初に、私ががんだと発覚したと泣いたのはプランナーのFさんと話をしている時だった。
姉御肌って感じで頼りになる感じのFさんと、一人でいる家で、打ち合わせ電話で話をしていたら、ついがんの話をしてしまい部屋で大泣きしながらその話をした。
いつもクールなFさんも、少し泣いていたかもしれない
何故なら、Fさんとは、私が元気で、幸せいっぱいで結婚式の話をしている時からのご縁だ
その私がまさかこんな転落をするとは、彼女も思ってもいなかったと思う

そして、契約担当者とモメにモメ、旦那とも、結婚式をするべきなのか否かと悩んでいたある時、ふとFさんから電話が入ってきた
確か結婚式の最低限必要なの段取りのための打ち合わせのアポだったと思う。
その時に、「今の状況知ってますか?と聞いたら」「はい」と。
そして、私がまたぐずぐずと「結婚式したくない訳じゃないんです。でも経済的に不安で、私が結婚式していいのかもわからなくなっちゃって…」と泣いた
そして、じっと私の話を聞いてくれたFさんが、私が話すだけ話して泣いてちょっとブレイクが入った瞬間に、元気にこう言ったのだ

「でもね、リオナさん、私まだリオナさんの結婚式諦めてないんですよ!」

え!?って思った。
でも、声が、前向きだったのだ。私の話もちゃんと聞いてくれて、共感してくれて、その上での提案だったのは、伝わってきた

「リオナさん!結婚式ってすっごく楽しいんですよ!絶対やった方がいいです!」
「あとで、あとで、ってなると、いつ結婚式しようかっていうタイミングが掴めなくって、結局結婚式しなくて後悔しちゃうことってあると思うんですよ!」

って、真っ暗などん底にいた私に、ポジティブで光いっぱいの話をしてくれたのだ
私は以前から何度もFさんと打ち合わせをしていて、信頼をしていた
そして、その時気づいていた。「Fさんが、私の名前を呼んだのは初めてだ」と。
電話を切った後、思った
Fさんも、私が乳がんがわかってわんわん泣いた電話の後、私の結婚式のことを、いっぱいいっぱい考えてくれたのだろうか…と。
だから、名前を、自然と呼んでくれたのかなと…。

そして、その時位から、親族から少しずつお祝いが届くようになっていた。
遠縁だった親族からも頂いたり、仲がいい母の姉のお家からは10万も頂いたりした。
…これなら半額の負担で、結婚式できるかもしれない
…結婚式、したいな…

少し、前向きになれた

Fさんに電話をした

「私は、結婚式で笑えるでしょうか?」と
Fさんは、自信をもって「絶対に笑えます。大丈夫です!!」と応じてくれた

その後、また結婚式の打ち合わせを再開し、式場に通う日々が始まった。
時々は、メンタル的にダメで家から出れないという時は、旦那だけ打ち合わせに行ったり、日程を変えてもらったりとご迷惑をおかけしたが、最低限の打ち合わせはできた
でもその時ですら、幸せいっぱいそうな結婚式の写真のサンプルを見て自分との落差で涙目になり、隣にいたFさんに「私は、こんな風に笑えるのでしょうか」と泣きそうになった時が何度もあった
その度に、Fさんは「大丈夫ですよ!!」と力強く答えてくれ、私を支えてくれた

そして打ち合わせの時から、当日まで、Fさんは私を下の名前でずっと呼び続けてくれていた

頼るべきは、契約担当者ではなく、Fさんだったんだって、その時自分の過ちに気づき反省したものだ
Fさんは私の人生の先輩。そして何度も会って話をしていて信頼していた人だったじゃないか、と。


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記事の続きが遅れてすみません。この一件は、私のがん体験の中でも一つの山場で、どう書いたらまとまるのか、ずっと考えていました。
今回も書いてみて、まとまっているのか自信はないですが、とりあえず、アップしてみます。適宜修正を入れるかもしれません

もし心に響いたならば……投げ銭のひとつやふたつやみっつやよっつ!!よろしくお願い致す!(笑)