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ソフィストとソクラテス〜現代社会哲学編③〜

今回は、ソクラテスの思想について学んでいきます。

1、ソクラテスの弁明

ソクラテスは、自身での著書を残していませんが、その弟子であるプラトンによって多くのことが語られています。ここでは、『ソクラテスの弁明』というソクラテスに関する著書を使い説明します。なお、ここで出てくる「私」はソクラテス自身のことです。

私は賢者の世評のある人々の一人をたずねた。

「賢者」というのは、ソフィストのことです。ソフィストというのは、「知恵のある者」を指し、この時代の職業教師や政治家のことです。有名な人に、「人間は万物の尺度である」という言葉で知られているプロタゴラスがいます。

そこにおいて-もしどこかで出来ることなら-神託において反証をあげ、そしてこれにむかい「見よ、この人こそ私より賢明である、しかるに汝は私に至賢であるといった」と、主張することができるであろう、と考えながら。

ここでいう神託とは、デルフォイの神託のことです。「ソクラテスより賢い者はいない」というものでした。

そこでその人を充分研究したとき-その名前をいうことは無用であるが、アテナイ人諸君、私が吟味している際に次の如き経験をしたのは、政治家の一人であった-彼と対談中に私は、なるほどこの人は多くの人々には賢者と見え、なかんずく彼自身はそう思い込んでいるが、しかしその実彼はそうではないとの印象をうけた。それから私は、彼は自ら賢者だと信じているけれども実はそうではないということを、説明しようと努めた。その結果私は彼ならびに同席者の多数から憎悪を受けることになったのである。しかし私自身は、そこを立ち去りながら独りこう考えた。

続きます。

とにかく俺の方があの男より賢明である、なぜといえば、私たち二人とも、善についても美についても何も知っていまいとおもわれるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して私は、何も知りはしないが、知っているとも思っていないからである

ソフィストに、問答法(産婆術)と呼ばれる、質問を繰り返す論法で善美(カロカガティア)とは何かと尋ねます。しかし、ソフィストが答えられないものが出てきてしまいます。

ここで、ソクラテスは、ある分野の専門家(ソフィスト)が、普遍的な知者のように振舞っているということを批判します。そして、自身が無知であるということを自覚している(=無知の知)自分がソフィストより賢いと考えます。そしてソクラテスは、「汝自らを知れ」をモットーに探求を続けます。

しかしながら、ソクラテスは当然ソフィストには気に入られず、最終的に冤罪をかけられて毒杯をのみ死んでしまうのです。

2、魂への配慮

「アテナイ人諸君よ、私は諸君を尊重しかつ親愛する者であるが、しかし諸君に従うよりもむしろいっそう多くの神に従うであろう。そして私の息と力の続く限り、智慧を愛求(=philosophy:哲学)したり、諸君に忠告したり、諸君の中のいかなる人に逢っても常に次の如く指摘しつつ、例の私の調子で話しかけたりすることをやめないであろう。『好き友よ、アテナイ人でありながら、最も偉大にしてかつその智慧と偉力との故にその名最も高き市の民でありながら、出来得る限り多量の蓄財(=お金持ち)や、また名聞(=評価の高い人)や栄誉(=地位の高い人)のことのみを念じて、かえって、智見や真理やまた自分の霊魂を出来得るかぎり善くすることなどについては、少しも気にかけず、心を用いもせぬことを、君は恥辱とは思わないのか』と。」

ソクラテスは、良い生き方を実践する、「魂への配慮」をすべきだとしました。「ただ生きるより善く生きる」という言葉が残っています。そしてそれを以下の3つに分けて説明しました。

知徳合一
魂のよさのために知恵を身につける。
知行合一
良い知恵は良い行為として実践する。
福徳一致
人間の幸福は徳を備えることで実現する。

まとめ

ソクラテスは、無知の知をしている自分がソフィストよりも賢く、自分を知ることなどにより善く生きることが大切だと解きました。

次回はソクラテスのお弟子さん、プラトンについて学びます。

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