夫が休職した後、なぜか酒場SF映画を創った。
2021年2月某日
「完成したの?」
仕事部屋でPCに向かう夫に問うと、なぜか遠慮がちに、でも嬉しそうに彼は「あ、うん。できたよ」と言う。そんな風に遠慮するから、つい「観たい」と答えてしまった。
瞬時に「えっ、マジ?」とキラキラとした目を向ける夫。
(あ、しまった...)と後悔しつつも、編集から上がってきたばかりの作品を二人で観ることになった。
50分間の映像。ストーリーも脚本も空で言えるほどには記憶している。
なぜなら1か月ほど前、夫が撮影監督に渡すために自身で編集した仮編集動画を二人で観ているのだ。
目の前のモニターで、眠っていたヒロインの目が覚める。
物語が始まる。
「ごめん、私試写会には行かない」
映画の仮編集データは、撮影した動画データをシーンごとに切り出し、荒く全体につなげたもの。音楽も効果音もCGも入っていないオーガニックな映像。
特に音は撮影環境に影響されるため、音量が上がったり下がったりノイズがあり、非常に聞きにくいものになっている。映画は音でほぼ決まる、というが、この仮編集状態にはそれがない。ゆえに、観る側にとって演者の演技に対する感覚が鋭くなる。つまり、観られる側の難易度が上がる。
さらに今回の映画は、プロキャストとアマキャストが半々の混成キャストによる作品となっていた。演技初挑戦、というアマキャストも多数。
「ごめん、私試写会には行かないと思う」
観終えて一言つぶやいた私に、え、なんで?と問う夫。無遠慮に「だって、ひどいもんこれ...」とつい口をついて出てしまった。戸惑う彼。
ストーリーは悪くない。ただキャストの演技がバラバラに見えてしまう部分が数か所あった。もちろんプロキャストの演技は素晴らしいが、アマキャストの演技とのアンマッチが目立つのだ。それを観た私の中の「共感性羞恥」が思わず発動した。
こういうときの気遣いというものが、私はできない。ストレートな言葉を言いがちなのである。
加えて、1年間、否応なく夫の活動に「巻き込まれた」感情もあり、ちょっとへそも曲がっていたことは否めない。
試写会でエンドロールのあと、もし客席が静まり返っていたら。
即座に会場の外に逃げ出すだろう。ならば行かないという選択。
しかしその後、私はこの時の言葉を悔いることになる。
「始まりの夜」
2019年晩秋、食卓で突然夫が「俺、映画撮るよ」と言い出した。驚きはしたが、まさか本気じゃないよね、と冗談半分に聞き流した。
夫はかつてせっかく入学した大学には興味を失い、趣味の映画製作に没頭していた時期がある(当時をもちろん私は知らない)。10代後半から20代前半。若さに裏打ちされた、若者のみが持つナルシズムの塊のような作品のいくつか。
その中に、好きな作品があった。「時に願いを」というタイトルのタイムリープもののショートムービーだった。全キャストスタッフが友人、という、技術も内容も未熟なものだったが、なぜか心惹かれる映像だった。
繊細で、かつ優しくてポップ。監督の癖に演者として出ている本人が一番面白かった。楽しそう。シンプルに感じた。
考えれば、その頃からずっとSFの人なんだなと思う。
その後いくつかのバイトを転々としたのち、東京の広告制作会社で会社員となった彼。私たちはその頃出会った。
当時の夫の夢は学生の頃と変わらぬ「映画監督」だった。
多忙な日々の中で「いつか映画撮るよ」「40歳になったら撮るよ」「50歳になったらね」と先送りにされていく夢の言葉を、私はだんだん聞き流すようになっていた。夢ってそういうものだよな、と。
しかも、彼は2019年の春に過労が原因の病に罹り、療養のため休職中だった。
それが突然の「映画撮るよ」宣言である。
誰だって「冗談でしょ?」って言うと思う。
「あなた広報だから」
しかしその宣言から、彼は猛烈な勢いで映画創りに邁進していった。
いつの間に書いたのか、ストーリーは仕上がっていた。
キャストもあて書きだというから驚いた。元気になってから演劇の舞台やライブハウスに通って、この人と思う人に片っ端からアタックしていった。
まるで病人的ではない。いやむしろ、ものすごく元気な人である。
あれよと言うまに自費で予告編を創り、それをフックにクラウドファンディングを開始した。ものすごく目まぐるしい。私は森に逃げ込んだ(バーチャルの)。
ある日夫から「Webサイト頼むよ」と声をかけられた。
はい?
「あなた広報だから。よろしく!」
いや、よろしくじゃねーよ。
しかし、私の本業である。本懐である。それだけは誰にも譲れない。
こうして私も目まぐるしい日々に巻き込まれていったのだ。
「巻き込まれた妻、広報になる」
50分後、寂しげににこりと笑うヒロインに、美しいエンディングテーマ曲がかぶり、ブラックアウトした画面にエンドロールが流れ始めた。
一呼吸置いたあと、私はつぶやいた。
「私試写会行くかも」
夫の目がキラキラと輝いた。「え、マジ?」嬉しそうである。
この日、一人の映画監督が生まれた。
そして、巻き込まれた妻は映画広報になった。
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