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「好きになれたらいいね、雨」

*「ニイちゃん、これから仕事?」朝、チェーンのカフェの喫煙所で、四十代くらいの女性に声をかけられる。目が合ったわけでもない。ただ喫煙所には僕と女性しかいないので、消去法を使うまでもなく、僕に投げられているのは明白だった。女性の顔を見て一瞬だけ「おれですか?」という目線を送る。あんただよ、と目線が返ってくる。

「これから、というか仕事中というか」慌てて飛んできたボールにまごついていると、「私は今から古着の梱包の仕事やねん。先週まではチョコ包んでたんやけどなー」とまごつく僕からボールを取り上げ、ドリブルし始めた。キャッチボールではなかった。「はあ」とタバコ片手に気の抜けた相槌を打つ。話はタバコ1.5本分つづいた。喫煙所を出る際に「ニイちゃんありがとう。今日ええことあるで」と感謝と予言を告げられる。

カフェを出ると雨が降っていた。冬も夏も雨は降るのに、雨で思い出す季節は夏なのはなぜだろう。「梅雨に生まれたから、雨が好きです」と昔好きだった人が言っていたのを思い出す。雨が苦手だった僕にとって、雨が好きな彼女を好きになることはすなわち、雨を好きになることと同義だった。今でも雨は好きだ。冬の雨より夏の雨が好きだ。でもそれは、まだ彼女への薄い靄のような気持ちが晴れていないだけなのかもしれない。

雨の日に傘を持つのが苦手だ。片手が塞がることを極端に嫌う習性がある僕は、カバンもリュックか肩がけのものを選ぶ。そしてたいてい、どこかに傘を忘れてしまうのだ。使った傘の本数と失くした傘の本数はニアリーイコールで結ばれる。家には傘が一本だけある。しかしその傘は、いまだに雨を受けていない。「好きになれたらいいね、雨」と、梅雨に生まれた彼女からもらった傘だった。あれから数年経つ。雨はそれなりに好きだ。ただ、あの傘を持って雨の日に出掛けることは、まだ先のような気がする。


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雨の日をたのしく

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