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且緩々

先日紹介した心を整えるスヌーピーから、気に留まった禅語の紹介をする。今日は且緩々しゃかんかんについて。

且緩々とは、その昔、早く悟りを開こうと矢継ぎ早に質問を繰り返す弟子をたしなめるように、師である僧が発した言葉とされている。現代に生きる私たちにとってはハッとさせられる言葉ではないかと思う。

何をしていても「変化の多い時代」「スピード感を持って」と、知らず知らずのうちに急かされている。効率的に、とにかく早く・速くやることを是とする。長い映画を3分で理解できる動画が流行ったり、じっくり味わえる作品よりも結論が早く来るものが好まれる、そんな風潮は近年ずっと増している。

答えにいち早く辿り着きたい。どうしてこうなったのだろうか。ちょっと考えてみると、それは受験勉強の弊害ではないだろうか思う。ペーパーテストを受けるとき、制限時間内に多くの問題を解くことを強いられる。就職試験のSPIも同じである。とにかく早く、速く、はやく、かつ、正確に。そんなことをずっと求められて、少なくとも10代の頃は過ごしていたはずだ。大学に進んだ人も試験のときは当然同じ思いをしたはずだ。社会に出てからも、会社の訓話で同じようなことを言われる。

早く目的地に辿り着くことは正しいことなのだと刷り込まれている。車、高速道路、新幹線、飛行機など、人間は目的地に早く辿り着けるように技術革新を進めてきた。それによって受けた恩恵はもちろん計り知れない。

そのことと、人間が一生を掛けて辿り着く目的地とは、本来切り離して考えなければならないのかもしれない。たくさん質問をすること自体は良いことであるように思えるのに、師である僧はどうして弟子に「そう焦るな」という言葉を残したのか。

この訓話から一つ考えるのは、何かに辿り着くというのは、本来時間を掛けて色々な回り道をして初めて成立するのではないか、ということだ。効率的に辿り着いたところが、本当に目的地だったのか?目的地に辿り着いた気になっていただけで、本当は通ったほうが良かったところを単にすっ飛ばしているだけなのではないか?とも考えられる。

その人なりの人生の答えと言うと大げさだけれど、長い年月を掛けたからこそ見える景色みたいなものがあるかもしれない。目先の答えを求め過ぎず、生き急がない。そんなことを考えるのに、とてもいい言葉と思っている。

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