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高校野球は時代の変化についていけるのかい?

今年も全国で高校野球の地方予選が始まっている.

ギラギラと照り付ける太陽の下で,プレーするその姿は非常に青春を感じられ,私たちを毎年感動させてくれる.去年は,コロナウイルスの影響で開催されなかった夏の全国大会も,今年は見られる.楽しみだ.
ブラスバンドの応援が聞こえないのは少し寂しいが,球場に響き渡る球児の声,金属バットの音,スタンドからの拍手は新鮮で,これもまた一興だ.

オリンピックでも高校野球にも言えることだが,スポーツというのは明るい面ばかりが表に出て,暗い話題にはあまり多くの人が目を向けないし,向けたがらないように思える.
圧倒的な勝利や華麗な動きは確かに素晴らしいが,こと高校野球においては,ダークな面が多すぎてうんざりする.

高野連への批判は毎年多い.
最近だと,球数制限がホットな話題だろうか.高校生投手が自分の体を犠牲にして,多くの球数を投げることを「力投」などという言葉でごまかし続けて50年以上,多くの稀有な才能が怪我に悩まされてきた.
その解決策として,高野連が昨年提示したのが,「一週間に500球」という制限である.

一見,初めて具体的な数字が出てきたので,効果があるように見える方もいるかもしれないが,これは実際問題なんの抑制にもならない.
プロ野球と比べると一目瞭然だ.1週間に500球以上のボールを放る選手など聞いたことがない.それが試合中での投球であればなおさらだ.
結局高校生投手は,練習投球を含め,非常に多くの球数を投げることになる.高野連のパフォーマンスに他ならないだろう.

オールドスタイルの野球を続けたい関係者が多いのか知らないが,プレーするのは高校生であることを忘れてはならない.

「勝利至上主義」という考え方がある.これを学生が言い出す分には,まだましだが,現実は違う.
「プレーヤーひとりひとりの技術,メンタル面の向上」よりも「チームの勝利」を重要視する独裁者が,高校野球を始めに中学,少年野球には存在する.またそのような指導者は,自らがプレーしていた時代の環境である,監督からプレーヤーへのトップダウン型の組織を経験しており,自分がその悪しき風習を知っているうえで,同じことを繰り返している.

指導者の中には,(相手を傷つけると理解しているのか,していないのか,頭が悪いのかわからないが)「野球チーム」という組織の中なら,人格を否定するような言動も許されると勘違いされている方々が数多くいる.

時代は,常に変わっている.
平成という時代も終わり,昭和なんてもう何十年も昔の話だ.

プレーヤーが「野球」をする.

指導者や保護者は,その「手助け」をする

この大前提を忘れてほしくないといつも思う.





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